多くの人に『Fantôme』は聴かれるというわかりきった状況そのものが、未来に向けた一筋の希望 〜 宇多田ヒカル『Fantôme』〜



 2016年9月28日、宇多田ヒカルが8年ぶりのニュー・アルバム『Fantôme』をリリース。ファンはもちろんのこと、音楽業界も宇多田ヒカルの帰還を大歓迎した。
 全国のCDショップは、待望のアルバムをできるだけ多くの人に届けようと頑張っている。その熱量は凄まじく、特にタワーレコード新宿店で目にした、「大人になるって悪くないよ」というキャッチにはくすりと笑ってしまった。バカにしたのではなく、なかなか鋭い批評眼を持っていると感じたからだ。


 さて、『Fantôme』もリリースから数日経過した。多くの評論家があれやこれやと書きつらね、ライター志望の人たちもブログなどで長文を綴っている。もちろん筆者も、本作を聴いて書きたいことがいろいろ思い浮かんだ。しかし同時に、少なからず権威が伴ってしまう立場にいる筆者のような者が、本作を言葉でがんじがらめにしていいのか?という想いも頭をよぎった。
 以前、ミックス・エンジニアをやっている友人が、「この仕事でもっとも難しい選択は、何もしないことだ」という話をしてくれた。お金をもらってミックスするのだから、いじらないという選択はなかなかの苦渋だろう。それでも、いじらないほうがいいと感じる作品に出逢ったとき、このままのほうが素晴らしいと伝えるそうだ。それもまた、プロの姿勢だと彼は語ってくれた。
 というわけで、筆者はこの姿勢に沿うことを選んだ。そしてここからは、その理由を述べるだけの、売文業にとっては敗北宣言とも言える内容になるだろう。そんな文章を読みたくない者は、いますぐブラウザを閉じてもらって構わない。


 まず、本作を聴いて真っ先に思ったのは、「宇多田ヒカルという “個” の存在があまり強くない」だった。もちろん、隙のない音作りや、深みを増した丁寧な言葉選びには、出産や母の死という出来事を経た宇多田ヒカルの姿が見えかくれする。ただ、久しぶりのアルバムだから豪華絢爛なゲストをたくさん用意したり、あるいは “帰ってきたぞ!” 的なアピールといった装飾がほとんどないのだ。目を引くゲストは、椎名林檎、KOHH、小袋成彬くらいのもので、必要最低限。アルバムのテンションも、心地よい平熱といういつもの宇多田ヒカルだ。アゲすぎず、かといったしんみりになりすぎない絶妙な温度と距離感で、私たちの心を包み込んでくれる。


 では、強く感じられるものはなにか?それは “他者” である。本作での宇多田ヒカルは、先に書いたゲスト陣の持ち味を上手く引きだし、それを作品の多彩さにつなげる黒子的役割も上手くこなしている。これまではコラボレーションも少なく、作品自体もどこか閉鎖的な空気を漂わせることもあったが、本作はオープンな空気がとても印象的だ。言ってみれば、過去の作品群が “私(宇多田ヒカル)” の作品だとしたら、本作は “私とあなたたち” という風景が目に浮かぶ作品だ。おそらく、6年に及ぶアーティスト活動休止期間中(宇多田ヒカルの言葉を借りれば「人間活動」)に得た、多くの他者との関わりがそうさせたのかもしれない。本作はこれまで以上に、他者の呼吸と温もりが至るところに刻まれている。これはリスナーという存在をより意識することでもあり、もっと言えばそれは、アーティストとして人に作品を届けることに対する、覚悟と責任の表れではないか。この点に筆者は、宇多田ヒカルが過去と真剣に向きあった足跡を見いだしてしまう。また、真剣に向きあったからこそ、本作での宇多田ヒカルは圧倒的な才能だけでなく、“優しさ” や “余裕” といった人としての深さでも凄味を醸すことができたのではないか?そう筆者は考えている。


 そんな本作は、とても自由で伸び伸びとした、牧歌的な雰囲気すら漂わせる作品だ。そこにあるのは、今後作品を作るうえでの並外れた自由度と、本作を聴いた人の人生にポジティヴな変化をもたらす可能性である。
 自由度に関して言うと、たとえばヴァシュティ・バニアンのように、次のアルバムまで35年かかっても傑作を作りあげる、ということもありだろう。それぐらい、何をやっても許される状況ができている。そして可能性には、聴いた人がこの先どんな人生を歩むのか?と想像してしまう、そんな希望がたくさん詰まっている。さまざまな指向や嗜好の人たちがコミットできる歌詞は、宇多田ヒカル史上もっとも懐が深い。
 このような本作に、哲学者や作家の言葉を引用した小難しい文章を添えたり、扇動的な言葉を用いて神格化をうながすのは、少々無粋だと思う。それよりも筆者は、ポジティヴな変化をもたらしてもらった、リスナーの声を聞きたい。この声こそが、本作の素晴らしさと価値を雄弁に語ってくれる。多くの人に『Fantôme』は聴かれるというわかりきった状況そのものが、とても素晴らしく、未来に向けた一筋の希望なのだ。

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