ドラマ『スカイ・ロッホ』の逃走劇は、男性優位社会からの脱出だ


スカイ・ロッホ


 コーラル(ヴェロニカ・サンチェス)、ウェンディー(ラリ・エスポジット)、ジーナ(ヤニ・プラド)という3人のセックスワーカーが逃亡劇を繰りひろげる『スカイ・ロッホ』は、ネットフリックス作品のなかでも特に配信を楽しみにしていた。ドラマ『ペーパー・ハウス』(2017〜)でも良い仕事を果たしたアレックス・ピナやエステル・マルティネス・ロバトなどが制作/脚本に関わり、劇中で使われる音楽は筆者が好きなポップ・ソングも多いと、事前に報じられたからだ。

 結論を言ってしまうと、『スカイ・ロッホ』は批評的視座と娯楽性が高レベルな形で共立したドラマであり、期待を遥かに上回る出来だった。
 まず映像面では、1話30分程度の長さでありながら、3人のナレーションを上手く織りまぜることで、登場人物たちの背景や情感に深みをあたえている。細かいカット割りやコントラストが強い多彩な色使いなど、視聴者の目を惹きつける技も秀逸だ。特にカット割りは、『このサイテーな世界の終わり』(2017〜2019)や『ノット・オーケー』(2020)といったドラマに通じるハイテンポなグルーヴを生みだし、物語にスリルをもたらしている。

 映画/ドラマ好きなら、すぐにピンとくる演出や音楽も見逃せない。たとえば、ドラッグ中毒のコーラルがバッド・トリップし、プールに沈んでいくシーンは、映画『トレインスポッティング』(1996)の一場面を彷彿させる。その場面とはもちろん、レントン(ユアン・マクレガー)がトイレの便器に入りこむところだ。
 こうした連想に導かれたのは、バッド・トリップのシーンで流れる音楽も深く影響している。コーラルが不快感に苛まれるなか、ルー・リードの大名曲“Perfect Day”(1972)が鳴りひびくのだ。

 “Perfect Day”といえば、『トレインスポッティング』のハイライトで使われたことでもよく知られている。ドラッグから抜けだせないレントンの悲哀を突きつけるシーンは、多くの映画ファンにとって忘れられないものだ。その悲哀と相通じる切なさをコーラルは醸す。
 筆者からすると、『スカイ・ロッホ』はイギリス色が鮮明なドラマだ。劇中で流れる曲も、プライマル・スクリーム、ジョー・ストラマー&ザ・メスカレロス、スリーパーといったイギリスのポップ・ソングが目立つ。

 社会性が強いのも『スカイ・ロッホ』の特徴だ。コーラル、ウェンディー、ジーナ、さらには彼女たちが働いていたクラブの元締めロメオ(アシエ・エツェアンディア)を通し、セックスワーカーを含む女性たちが搾取される構造を私たちに示す。
 特に心を締めつけられたのは、第1話におけるジーナとロメオのやりとりだ。ジーナは家族の元に帰るため、ロメオから借金していたお金を全額返す。ようやく騙される形で始めたセックスワークから抜けだし、愛する者たちと一緒に過ごせるはずだった。
 しかしロメオは、借金がまだあると言いだす。そのお金はジーナが仕事をするための必要経費としてクラブ側から払われたものだったが、辞めてほしくないロメオはそれを強引に借金としたのだ。そうしてロメオは、ジーナに借金を返すまで働くよう脅す。それに対し、ジーナは涙を流すしかなかった。

 ジーナとロメオのやりとりでは、お金の自由を奪うことで、相手を支配しようとする経済的DVの構図が描かれる。近年、経済面での暴力という概念が世界的に広がり、それを受けて内閣府がDV防止法改正に着手する動きもあるため、感情移入できる日本の視聴者も多いシーンだと思う。
 他にも、セックスワーカーに対する社会の偏見や差別にまみれた眼差し、さらにはセックスワークを介して生まれる恋や愛はまやかしだと突きつける冷徹さなど、構造的な女性差別を巧みに抉りだす描写が物語全体を通して際立っている。

 『スカイ・ロッホ』は搾取や差別の構造を描くのみならず、その構造に立ちむかうための前向きなエネルギーも漂わせる。コーラル、ウェンディー、ジーナがどこか楽しげに逃走する様は、男性優位社会からの脱出に見えなくもない。ロメオに追いつめられても機転を利かせ見事に窮地を抜けだすなど、3人は多くの男性を手玉に取る。まるでドイツ映画の名作『バンディッツ』(1997)のように。
 今年7月にシーズン2が配信予定のため、3人の結末はまだわからない。それでも、シーズン1で紡がれるシーンの数々は、悪辣な社会構造を打破したいと願う者たちにとって、頼もしい矛になり得るだろう。



サポートよろしくお願いいたします。