『デイブレイク ~世界が終わったその先で~』の性善的なキャラクターたち


デイブレイク ~世界が終わったその先で~


 映画『ジョーカー』の暴力、ドラマ『ザ・ソサエティ』の裏切り。極限の状況に追いつめられると、人は凶悪な本性をあらわにする。そう言いたげな映画/ドラマは多い。
 これらの作品には興味深いものがたくさんある。しかし同時に、本性=凶悪という構図はありきたりじゃないか?とも感じる。追いつめられているからこそ、良心的な部分が表れ、行動を起こす人がいたっていいし、いるはず。そう思うのだ。

 そんな筆者にとって、ネットフリックスのオリジナルドラマ『デイブレイク 〜世界が終わったその先で〜』は興味深い作品だった。本作の舞台は、世界滅亡後のカリフォルニア州グレンデール。ウイルスが拡散し、大人たちは全員グーリーと呼ばれるゾンビになり、生き残った人間を見つけては食べている。生きているのは少年少女だけだ。
 こう書くと陰惨なドラマに思われるかもしれない。ところが、劇中の少年少女たちは滅亡後の世界を謳歌している。親からのプレッシャーはなくなり、煩わしい人間関係もリセットされた。主人公のジョシュ・ウィーラー(コリン・フォード)は、そう私たちに語りかけてくる。
 一方で、滅亡前の慣習にすがる者たちも少なくない。その者たちはチアリーダー、オタク、体育会系など、いわゆるスクールカーストの仕組みに沿って群れを作り、生活している。そのような状況でも、ジョシュは恋人のサム(ソフィー・シムネット)を見つけるため、滅亡後の世界を駆け抜ける。

 本作を一言で表せば、コメディー要素が強いティーン・ドラマだ。『デッドプール』『北斗の拳』『マッドマックス』『スターウォーズ』などを引用した物語は緩いノリが際立ち、しょうもないブラックジョークやグロい描写が随所で飛びだす。正直、ハラハラするシリアスなシーンはほぼ皆無だ。人によっては“くだらない!” “安っぽい!”と切り捨てたくなるかもしれない。

 それでも筆者が本作を熱心に観たのは、滅亡後の世界で生きる者たちの描き方が興味深いからだ。たとえば、オースティン・クルート演じるウェスリーは、滅亡前の世界ではいじめっ子だった。スクールカーストでも体育会系に位置するなど、どちらかといえば強者である。だが、滅亡後は自らのおこないを反省し、平和主義のサムライとして生きている。
 クランブル(クリスタ・ロドリゲス)もおもしろいキャラクターだ。生物の先生だった彼女は、ウイルス感染後にグーリーとなってしまった。しかし他のグーリーとは違い、理性や自我が残っている。生き残った少年少女たちを食べたい衝動に駆られても、代わりに鳥や蛆虫を食べる選択ができる。親しくなった10歳の少女・アンジェリカ(アリヴィア・アリン・リンド)を見つけるため、自転車に乗って探しまわる場面があるなど、情にも厚い。

 本作のキャラクター描写は、性善的に人を見ているからこそ可能なものが目立つ。物語も、滅亡後に自分を見つめなおした者たちが連帯し、暴力と抑圧的なルールで少年少女たちを従わせようとするマイケル(マシュー・ブロデリック)に立ち向かうという流れだ。それを陳腐な綺麗事と言う者もいるだろう。とはいえ、本性=凶悪といった見せ方が多い現在において、ひとつのオルタナティヴを示しているのも確かだ。すべてが壊れたから放蕩に陥るのではなく、壊れたからこそいままでのルールに縛られず、新たな繋がり方や規範を築こうとする前向きさが光る。最後の最後でジョシュの有害な男らしさを炙りだす展開も含め、エスプリに富んだドラマだと思う。



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