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人のストーリーに寄り添いたい

今日は一日中雨が降っていて、家から出ることもなく部屋でYouTubeに浸る自堕落な時間を過ごしていた。住んでいるシェアハウスも今日は僕ともうひとりしかいなかったので、誰のことも気にせずお腹が空いた頃にキッチンに行って自分の食事を作る。いつも手持ち無沙汰になると不安になっていたけど、こんな日くらい気ままにしてもいいだろう。

夕方、お菓子を食べたくなり近くのドラッグストアに行った。さっきまで降っていた雨は上がり、生暖かい空気が流れている。急に身体を動かしたくなり、タッタッタッと走ってみる。ほんの100mくらいだけど、自分の身体がしっかり走れるんだと確認できて安心した。だんだんと遠くへ消えていく、微かな光を掴めたような気がして。

この2ヶ月なにが辛かったのかようやく分かった気がした。眩暈が続いて体調が悪いことが辛かったんじゃない、“自分の存在がだんだんと透明になっていく”感覚が辛く、怖かったんだ。未来が保証されず、何もできない自分と対峙することがこんなにも心細いのかと。みんな進んでいくのに、なぜ自分だけは取り残されていくんだろう……と絶望しかけた。

6月、好意を寄せる人に言われた言葉に答えが頭から離れなかった。

生活は見えるんだけど、仕事やキャリアが見えないんだよね。

その人はありのままに思ったことを言ったまでで「今、無理に答えを出せなくてもいいと思うよ」とフォローしてくれた。でも、あの時はこれからのことを言葉にする余裕が本当になかった。余裕がなさすぎて今年25歳にもなるのに、自分のことすら言葉にできないことに心底ショックを受けた。

その日、ずっと考えていた。僕が向かう先、やりたいこと。

「人に寄り添いたい」

それが自分のなかに残ったシンプルな答えだった。

思えばずっと言葉にすることをはぐらかしてきた。抽象的な言葉でばかり語って、分かってる風を装ってきた。

“大学では何やってるの?”という質問。“就活はどうするの?”という質問。

すべて抽象的な言葉ではぐらかしてそれ以上突っ込ませないようにしてきた。それ以上この話題は話さないでくださいオーラを出してきた。でも、これからはそれじゃあだめだ。もっと自分のことを解像度高く理解しないと。

以前から「①大学でまちづくりを学んでいるので、まちづくりの会社にいきたい」「②ランニングをやってきたので、スポーツとソーシャルの両方に関われるところにいきたい」「③仙台と東京の両方を行き来したい」とだいたい言ってきた。

▼その悩みのプロセスはこちらが一番分かる。

まず「①まちづくりをできるところにいきたい」という答え。そもそも僕、まちづくりや地域に興味がないと思う。それからたぶん「大学でまちづくり学んでます」という答えも再考した方がいい。もはや卒業だけど。

僕が所属するのは「事業構想学部」という変わった名前の学部だ。事業を実行していくために必要なあらゆる知識、ノウハウを学ぶのだが、それがまた広すぎて定義しづらい…。マーケティング、商業開発、行政、法律、会計、統計、ソーシャルビジネス、都市計画、建築、デザイン、IT……。数えきれないほどの分野のことを学ぶのだが、本当に一言で括れない。

僕が籍を置いている研究室は震災後に宮城県東松島市の野蒜地区に建てられた“森の学校”を手がけたり、仙台を中心にソーシャルビジネスの立ち上げを支援してきた風見先生のゼミ。

▼うちの先生でございます…。

たしかに「まちづくり」を学んでいることは間違いないのだ。この手の話題が地方創生、コミュニティデザインと呼ばれる分野に存在していることは知っているのだから。でも、自分自身がこれまで学んできたこと、やりたいことを正確に表すにはズレが生じる。普遍的に「地域」というバズワードに対して関心があるのではなく、もっと限定的に「仙台にいる人々」に関心がある。

次の「②スポーツとソーシャルの両方に関わりたい」という答え。たぶん、僕はスポーツに興味がない。「え、陸上競技もやってて、ランニング界隈にも関わってきて興味ないの?」と思われる方もいるはずなので咀嚼すると、自分が走ること自体は好きだし陸上競技や野球を観ることも好きだ。だけど、スポーツには興味を持てない。

スポーツには関わりたいけど仙台に自分が願いを叶えられる会社がなさそう…と4月くらいに話していたが、もっと根本的な部分で考えるべきことがあったと思う。例えば、僕は駅伝が好きだけど、全ての長距離選手が好きなわけではない。走りが素晴らしいと思う選手はいくらでもいるが、感化されるのは“自分の言葉を持ったアスリート”だ。

▼その一人が須河さん

つまり、僕はアスリートのストーリーの部分に感動させてもらっていたのだ。

「③仙台と東京の両方を行き来したい」については、仙台に戻ってきてから特に東京に拠点を置くべきことってないな…と思っている。もちろん、1年間東京に居て東京でしか体験できないこと、得られないものがあることは間違いない。けれども、用事があるときに新幹線に乗っていけばいい。このご時世だからというのもあるけど、たまにいければそれでいい。

先日、仙台のコワーキングスペースenspaceの可野さんに会った。こっちに帰ってきてからまともに人に会うことがなかったので、仙台の大人と会うのが久しぶりだったけど、仙台に居場所があったんだと実感した。

こう書くと東京の人たちを無碍にしてしまうような言い方になってしまうので、語弊が内容に書くと東京の人たちも好きだ。これまでお世話になった人たちにも会いに行きたい。でも、僕がこの先何を軸にして生きていきたいか考えた時に、きっと仙台にいてここにいる周りの人たちに対してActionしていくことが得ていきたいものを得られる気がする。得ていきたいものとは、周りの人たちが進みたい方向へと歩めている状態だ。

やはり、こっちに戻ってきてから「ここにいる人たちへ自分のチカラを注いでいきたい」という想いが強くなった。

そんなことたちを反芻していてでてきたのが“人のストーリーに寄り添いたい”という言葉だった。

僕は人の想いや感情から発せられるアクションやそのストーリーに寄り添うのが好きだ。走らないランニング会で行ったように、人のストーリーを聞いて共感するのが好きだ。その人にしか見れない景色や言葉がそこには詰まっているから。

また、そういう自分のストーリーを描こうとしている人たちのコミュニティを作れることと繋げられることが強みなのだと思う。それは走らないランニング会をやってきて周りからの評価だったり、cotreeのひらやまさんと何度か話していて「こんな人になりたい」と思ったのがきっかけだ。

弱さを包む優しさを持ちながらも、人の背中を押せる強さがある。そんな人に僕もなりたいと思った。

そういう意味で僕が仙台で想いを叶えられる仕事は「起業支援」(広義でいえば「企業」のほう)か「人を発信するローカルメディア」の活動なのでは…と仮説を立てている。

“支援”に関していえば、必ずしもビジネスにしたい人や大人に限定する必要はないので、もう少し考えてみたいが。でも、少し見えてきたので、もうちょっと人に関わっていけるフィールドを探してみようと思う。

雨が降り続く日に考えてみた話でした。

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