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“こんなはずじゃなかった”自分に向き合う

「こんなはずじゃなかった」と思いながらも変われずに生きる主人公の姿に、自分たちはなんてそっくりなんだろうと思った。

カツセマサヒコさんが書く小説『明け方の若者たち』。Twitterで見かけた「私と飲んだ方が、楽しいかもよ?笑」という言葉が気になり本屋で手に取った。

恋愛(だけが描かれた)小説かと思っていたので、こんなにも自分の弱いところ、狡いところをグサグサ突いてくるとは思ってもみなかった。

周りの意識高い人たちをちょっと冷めた目で見て彼らとは違うと思いながら、どこかで「自分はクリエイティブで才能がある…」と思う自分がいる。

就職してから希望していない部署に配属され「こんなはずじゃなかった」と思いながら、自分の全てを出して真正面から向き合う覚悟もなく妥協して、逃避して…。物語の終盤、主人公は「23、4歳って人生のマジックアワー」だと口にする。

今まさに“マジックアワー”を過ごしている(ちなみに、あと1ヶ月半でマジックアワー終了を迎える)身としては、この時間を主人公のように浪費してしまっていいのだろうか……とハッとさせられた。

ちょっと皮肉な言い方かもしれないけど、こないだラジオを収録した山本と僕は『明け方の若者たち』の主人公と尚人(主人公が就職する企業の同僚)の関係と似ている。

19、20歳の頃、僕たちは仙台の街の片隅でとある活動を一緒にしていた。夜遅くまで居酒屋で語り合ったり、終電を逃した日には彼の部屋に泊めさせてもらって人生について話したりした。あんなに熱く語ったのに、僕らは何者にもなれていない(“僕ら”というのは山本に失礼か…)。

周りを見ながら「自分だけは違う」と思っているところも、僕は主人公に似ていた。

話変わって、今週。友人に誘われて映画『劇場』を観に行った。又吉さんが書いてる原作を読んだことがなかったのでストーリーを知らなかったが、劇場は『明け方の若者たち』で漂う空気感の成れの果てといった感があった。

誰がどう見ても山崎賢人が演じる主人公の永田はクズ男だ。自分には才能があると思い込んでいるけど、何一つ結果を出せずにいる。周りから才能がないと思われていることは薄々分かっているけど、“安全地帯”である彼女の沙希(松岡茉優)から「才能がない」と言われるのは怖くて、耐えられないから彼女を壊してしまう。

2時間強の上映時間の間、ちっとも状況は好転せず永田のクズ男ぶりとそのクズ男ぶりを受け入れ、守ってしまう沙希を見ていて「しんどい」しか出てこなかった。映画が嫌いだからではない。『明け方の若者たち』以上に自分の狡いところ、認めたくないところ、甘えてしまうところ、逃げてしまうところを傷口に塩を塗るように見せてくるからだ。

原作を読んでないので、時間がどれほど経過しているのかは分からないが、おそらく物語のなかで7、8年は過ぎている。2人が出会った頃、沙希は服飾学校の学生だったが、終盤「もう、28だよ?」という。

その年月の間、変われなかった永田の姿は自分が周りには曝け出したくない姿を鏡に写して無理矢理見せられているようだった。

この映画を観てから数日が経った昨日、陸上競技をやってる友人が小説『何者』を読んで「いろいろモヤモヤした」とTwitterに書いていた。就活生たちの姿を描いたこの小説は気になってたので、ストーリーを知りたくてamazon primeで映画をさっき見た。

主人公は分析力もあって、クレバーな感じ。そして、優しい性格に見えていい人そう。でも、就活は仲の良かった女の子や同居人の内定が決まっても、自分は内定がもらえない。同居人には「なんでお前が内定とれないのか分からないんだ。」と言われてしまう始末。

終盤になって、それまでの物語のタネ明かしがされるような展開になるが、「ああいうのは痛い」と周りを冷めた目で見ながら、自分の人生を一番生きられていないのは主人公だった。

『劇場』が明け方の若者たちの主人公の「自惚れ」側の人格が拡張された感じだとしたら、『何者』は明け方の若者たちの主人公の「冷めた目線」側の人格が拡張された感じだった。

『何者』の「頭の中にあるうちはなんだって傑作なんだよ」という言葉を聞いた時、カツセマサヒコさんがこの曲は『明け方の若者たち』そのものと言っていたマカロニえんぴつの『ヤングアダルト』の歌詞を思い出した。

僕らに足りないのはいつだって
才能じゃなくって愛情なんだけどな

「こんなはずじゃなかった」と嘆いているうちはずっと「傑作」が頭の内にある。自分は才能があると思い込める。本当は才能なんてない、という現実から目を逸らし続けられる。

事実、僕もずっとずっとそうだった。

「こうなっているはずの未来」にならないのは、たとえ自分の力が10点でも20点でも愛情を注いでこなかったからだ。もしくは、愛情を注げるものをはっきりと見つけられずに彷徨い続けてきたから。

昨日2年分のnoteを読み返したら1年前のnoteにこう書いてあった。

話を元に戻すと、僕は「走ること、人の人生に向き合うこと」の両方をやりたいということに気づいた。何ができるんだ…といろいろノートに書き出していて、浮かんだことがある。「長距離ランナーのキャリア、生き方」に関わりたいということ。

ずっと「やりたい」で放置してきた。絵だけ描いて、行動することを後回しにして、気づけば仙台に戻ってきてしまった。できない自分と対峙するのが怖かった。

やりたいことがなかったんじゃない。僕も『明け方の若者たち』『劇場』『何者』の主人公と一緒で、自分の人生の舵を取ることが怖かったんだ。

週報noteにも書いたけど「ランナーへのインタビュー記事」を書いてみることにした。これからのことはもちろん大事だが、愛を注ぐことに向き合わなかったら、またどこかで「こんなはずじゃなかった」と嘆くと思うから。

どんなに点数が低くても、自分のことを満たせるのは自分しかいない。

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