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頼ってみた、そして頼るを考えた。

どうも、まさまさです。

コルクラボでは、毎週お題が出ている。
ちょっと前のお題について、改めて考えたいと思う。

Q.誰かに「頼ることができた」経験は?

コルクラボのお題に答えたときの回答はコチラ。

最近の出来事。
しるし書店について書いたnoteが西野さんに取り上げられた。
佐渡島庸平さん(サディ)の本に「佐渡島庸平の言葉をしるした」さらに「コルクラボの学びをしるした」って書いたら一瞬で売れた。
「すげー!!おおー!!」と感じた。
その一方でズルをしている自分が居るように思った。
僕の力じゃない。
人の褌(ふんどし)で相撲をとる」とはこういうことか〜と思った。
そういえば、社会人1年目か2年目の時に社長に言われた。
「人の褌で相撲をとるな!」と…。
その時はよくわからなかったが、人に頼ってはいけないんだ…と思った。
自分で完結させる。
それに固執してきた。
そして、一人では何もできないを感じて苦しんだ。
どう頼ればいいのか…。ここを突破できる自分になりたいんだけど、わからないんだな。
さて、現状コルクラボは優しさに溢れた人が多い。
たぶんだけど、感受性が豊かで自分もそんな気持ちになったことあるからわかるよ!って人が多いんだと思う。
で、『困った!』『助けて!』って全体に言えば「任せろい!」って言う人が少なからず出てくる。
そういう人たちに甘えて、結果頼るってことをしているのかなって思った。だけど、全体重を寄りかけることはできない。
重たい荷物(例えば、りんごを100個背負っているなら、10個くらい渡す)をちょっと持ってもらうってことをやっているに過ぎない。
で、あぁ自分の力ではできそうにない。
そう思った仕事には手を出さないってことを続けているように思う。
頼り方を知ることが、僕の人生のブレイクスルーになる気がしている。

上記は、しっくり来ていない。
そう思って引き続き考えていた。
そして、最近初めてpolcaを使った。
polcaを使ったことをかいた記事はコチラ。

このnoteを書き、コルクラボのメンバーと頼るをテーマに話している時に、ハッと頼る気持ちよさみたいなことに気づいた。
前置きが長くなったがそれを書きたい。

上記のpolcaでは元気がないように見える友人の話を聞きに行きたい。
そのために、移動費とコーヒー代を支援して欲しい、と言った。

すると、数分で目標達成額に届いたのだ。

単純に嬉しかった。

元気のない友人を救いたいという僕は、周囲の友達にカンパして欲しいと頼った(これは頼(たの)んだ…お願いした…かも知れないね)。

カンパしてくれた友人に聞くと、返ってきた答えはこうだった。
『私もできるなら、話を聴いてあげたいと思っているけど、仕事や家庭があって難しいの』…だから、まさまさにその気持ちを託した…そんな感じだよって。

そう、カンパしてお金を出してくれている人が僕に頼っている構図がうかがえる。

これを絵にすると、『人』っていう漢字になるね。
僕が頼って(寄りかかって)、相手も頼る(寄りかかる)
やっぱり僕が気持ちがいいと感じるのは、『頼る=他寄る』という構図なんだなぁと感じた。

他人に寄りかかった時に、相手のぬくもりを感じ、それをエネルギーにしている様にも捉えられる。
僕は寂しがり屋だから、人のぬくもりをエネルギーにできるのかもね。

家入さんの言葉を借りると、少額ではあるけれど、お金がなめらかに動いた…そんな気になった。

頼ると嬉しい気持ちになった話でした。
これは、人に頼ることができた!経験として僕の中に残るだろう。

最後まで読んでくれてありがとう。


サポートありがとうございます。 あなたのそのお気持ちのおかげでnoteを続けてこれました。 去年は1年で120本…みなさんのおかげです。これからも誰かに届く文章をかいていきたいです。