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道をひらく

あなたはこの本が刺さる人ですか?

松下電器創業者、松下幸之助が書いた人生の「道をひらく」ための本。決して万人受けする内容ではないが、刺さる人には刺さる。

50年以上も前に発刊された、伝説の良書。

著者、パナソニック(旧松下電器産業)グループ創業者[松下幸之助]
1968年5月1日発行


学ぶ心

 自分ひとりの頭で考え、自分ひとりの知恵で生みだしたと思っていても、本当はすべてこれ他から教わったものである。

 教わらずして、学ばずして、人は何一つ考えられるものではない。幼児は親から、生徒は先生から、後輩は先輩から。そうした今までの数多くの学びの上に立ってこその自分の考えなのである。自分の知恵なのである。だから、よき考え、よき知恵を生み出す人は、同時にまた必ずよき学びの人であるといえよう。

 学ぶ心さえあれば、万物すべてこれわが師である。

 語らぬ木石、流れる雲、無心の幼児、先輩の厳しい叱責、後輩の純情な忠言、つまりはこの広い宇宙、この人間の長い歴史、どんなに小さいことにでも、どんなに古いことにでも、宇宙の摂理、自然の理法がひそかに脈づいているのである。そしてまた、人間の尊い知恵と体験がにじんでいるのである。

 これらのすべてに学びたい。すべてに学ぶ心があって、はじめて新しい知恵も生まれてくる。よき知恵も生まれてくる。学ぶ心が繁栄へのまず第一歩なのである。


商売の尊さ

 長い人生、迷わずに歩むということは、なかなか容易ではない。その迷いの人生に、ひとすじの光明を与え、心ゆたかに生きる喜びを与えるのが、いわゆる宗教というもので、過去の歴史においても、人を救い、世を浄化し、そして数々のゆたかな精神文化を生み出してきた。

 宗教の力は偉大である。人びとを救うという強い信念のもとに、世間の求めるものを進んで与えてゆく。だからこそ、心から感謝され、そしてその喜びにふさわしい寄進が集まる。浄財が寄る。

 まことに宗教は尊い。だがしかし考えてみれば、商売というものも、この宗教に一脈相通ずるものがあるのではなかろうか。商売というものは、暮らしを高め、日々をゆたかに便利にするために、世間の人が求めているものを、精いっぱいのサービスをこめて提供していくのである。だからこそ、それが不当な値段でないかぎり、人びとに喜んで受け入れられ、それにふさわしい報酬も得られるはずである。

 それを、心ならずも値切られて、正当な報酬も得られないままに苦しむということであれば、これははたしてどこに原因があるのであろう。

 おたがいに、宗教の尊さとともに商売の尊さというものについても、今一度の反省を加えてみたいものです。


恵まれている

 人間というものはもことに勝手なもので、他人をうらやみ、そねむことがあっても、自分がどんなに恵まれた境遇にあるか、ということには案外、気のつかないことが多い。だからちょっとしたことにも、すぐに不平が出るし不満を持つのだが、不平や不満の心から、よい知恵も才覚もわきそうなはずがない。そんなことから、せっかく恵まれた自分の境遇も、これを自覚しないままに、いつのまにか自分の手でこわしてしまいがちである。

 恵みにたいして感謝をし、その感謝の心で生き生きと働いたならば、次々とよい知恵も生まれて、自他ともにどんなにしあわせな暮らしができることか、思えば愚かなことである。

 だが恵みを知ることは、そう容易なことではない。古来の聖賢が、恵みを知れ、と幾万言を費やしてきても、実感としてこれを受け取る人はどれだけあるだろう。頭で理解はしていても、心に直接ひびかないのである。そこに人間の弱さがある。

 おたがいに修行をしよう。自分は恵まれているということを、直接、自分の心にひびかすために、日常の立居振舞に、今一度の反省を加えてみよう。


自分の仕事

 どんな仕事でも、それが世の中に必要なればこそ成り立つので、世の中の人びとがもとめているのでなければ、その仕事は成り立つものではない。人びとが街で手軽に靴を磨きたいと思えばこそ、靴磨きの商売も成り立つので、さもなければ靴磨きの仕事は生まれもしないだろう。

 だから、自分の仕事は、自分がやっている自分の仕事だと思うのはとんでもないことで、ほんとうは世の中にやらせてもらっている世の中の仕事なのである。ここに仕事の意義がある。

 自分の仕事をああもしたい、こうもしたいと思うのは、その熱意があればこそで、まともに結構なことだが、自分の仕事は世の中の仕事であるということを忘れたら、それはとらわれた野心となり小さな自己満足となる。

 仕事が伸びるか伸びないかは、世の中がきめてくれる。世の中の求めのままに、自然に自分の仕事を伸ばしてゆけばよい。

 大切なことは、世の中にやらせてもらっているこの仕事を、誠実に謙虚に、そして熱心にやることである。世の中の求めに、精いっぱいこたえることである。おたがいに、自分の仕事の意義を忘れたくないものである。


岐路にたちつつ

 動物園の動物は、食べる不安は何もない。他の動物から危害を加えられる心配も何もない。きまった時間に、いろいろと栄養のある食べ物が与えられ、保護されたオリのなかで、ねそべり、アクビをし、ゆうゆうたるものである。

 しかしそれで彼らは喜んでいるだろうか。その心はわからないけれども、それでも彼らが、身の危険にさらされながらも、果てしない原野をかけめぐっているときのしあわせを、時に心に浮かべているような気もするのである。

 おたがいに、いっさいなんの不安もなく、危険もなければ心配もなく、したがって苦心する必要もなければ努力する必要もない、そんな境遇にあこがれることがしばしばある。しかしはたしてその境遇から力強い生きがいが生まれるだろうか。

 やはり次々と困難に直面し、右すべきか左すべきかの不安な岐路にたちつつも、あらゆる力を傾け、生命をかけてそれを切り抜けてゆく。

 そこにこそ人間としていちばん充実した張りのある生活があるともいえよう。

 困難に心が弱くなったとき、こういうこともまた考えたい。



 自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。広い時もある。せまい時もある。のぼりもあればくだりもある。坦々とした時もあれば、かきわけかきわけ汗する時もある。

 この道が果たしてよいのか悪いのか、思案にあまる時もあろう。なぐさめを求めたくなる時もあろう。しかし、所詮はこの道しかないのではないか。
あきらめろと言うのではない。いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、ともかくもこの道を休まず歩むことである。自分だけしか歩めない大事な道ではないか。自分だけに与えられているかけがえのないこの道ではないか。

 他人の道に心うばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、道はすこしもひらけない。道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。心を定め、懸命に歩まねばならぬ。

 それがたとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。深い喜びも生まれてくる。


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まずこの本はかなり有名な良書であり、知っている方や読んだことのある方も多いかと思う。

そして、この本を読んだことのない経営者やリーダーの方は絶対に一度は目を通したほうがいい。

なぜ、良書と言われているのか自分の目で見て、頭で考えてみるべきだ。

考えるだけの価値がそこには大いにあると私は感じる。

しかし、その価値を理解して下さる方は少ないとも思う。

例えば、私が「この本すごくいいですよ!」と言ったところで何人の方にその情報が届くのでしょう。

恐らく多くても数百人程度だろう。

そしてその中から実際に本を手に取り読んで下さる方は「ほんの数人」だろう。

私はその人は本当に行動力のある人だと思う。

この本を読んでみようと思った「ほんの数人」の方に伝えたい。


行動力があるあなただからこそ今まで様々な挑戦や窮地に立ったことだろう。

また何かを得る為に大切な何かを失ったこともあるだろう。

100人いて99人が萎縮し、動けない状況でもあなた1人だけが勇気の一歩を踏み出したこともあるだろう。

そして、失敗しただろう。

絶望のドン底に落とされ「死にたい」とさえ思ったこともあるだろう。

しかし、あなたは自分を信じることを選択し続けたことだろう。

今、この瞬間も「一歩一歩」と孤独の道を歩んでいるのだろう。

だが、それは孤独ではなく隣には一緒に歩んでくれる人がいることに気づいただろう。

涙を浮かべ、人に本気で感謝することもあっただろう。

多くの人が満たされることのない欲求の中であなたは自己実現という欲求を見つけたことだろう。

あなたは今日もまた「何か」のために生きているのだろう。

その価値を理解してくれる人は決して多くないだろう。

そうやってあなたは「ほんの数人」になるのだろう。


きっと実際に本を手に取って下さる方はこんな人なのだろう。



私の情報が少なからず皆さんのお役に立てればと思います。

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