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あの悔しさを忘れていないから今がある

Bリーグが始まる直前の2016年4月、当時のNBL最後のシーズンも終盤に差し掛かった中、私は初めて東芝(現:川崎)とジェッツとのアウェイの試合を観に初めて川崎市とどろきアリーナへ足を運んだ。

このシーズンのジェッツは元日本代表HCなど多くの実績のあるクロアチア人のジェリコ・パブリセビッチを新指揮官として迎え入れたものの様々な課題を解決できないまま2月に解任。その後任として生え抜きの元主将の佐藤博紀(当時、アンバサダー)を代行としてチームをまとめ直しながら戦っていた。

勝ったり負けたり今のような盤石さはなかったが、佐藤HC代行の下で失われかけた一体感を取り戻しながら戦っていた。

その中で鮮明に私の記憶に残っている試合がその東芝とのGame2であった。

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Bリーグ発足からブレイブサンダースの試合を見始めた方々には驚きかも知れないが、当時のとどろきアリーナでの試合は、今のような盛況とは違う質素で閑散とした雰囲気だった。

2階には東芝の社員や家族の人たちが集い本当にコアな人たちは1階の並べられたパイプ椅子で観戦していた。Bリーグになりその後経営母体がDeNAに移管された今のような大歓声に包まれた賑やかさとは全く違うものだった。

そんな雰囲気の中で行われたジェッツとのブレイブサンダースとの試合は、序盤から東芝の主力選手達が怒涛のように3Pシュートを決めっ放しで、その当日は主力選手数名が怪我で欠場したこともありジェッツはなす術ないまま試合が進み、104-57というダブルスコアに近い、私が見たこともない屈辱的な結果で試合を終えた。その時の思いを某SNSで下記のように記していた。

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その試合を呆れながら観ていてもういい加減途中で帰ってしまおうかと思った。でもここで背中を向けたら自分は逃げた負け犬になってしまうと悟り、結局最後まで見届けた。試合終了後、代行だった佐藤さんと交わした悔しさが混じった強いハイタッチは今でも忘れられない。(下記は別の試合でヒロさんが代行として率いていた場面。本当にチームに活気が甦った。)

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その後NBLでの戦いを終え、新たにBリーグで戦いを挑む中で佐藤さんはGMとなり、新たなHCとして大野篤史氏を迎え入れようという中で、彼が大野さんに託した想いは「ジェッツを戦える集団にしてほしい」であった。その想いを大野さんは受け止めてHCとして初めてのキャリアの場をジェッツに選んでいただいた。そしてここまで戦える集団として戦い続けている。

私より前にジェッツを応援されている方々には、この惨敗より酷いものを観られたかも知れない。でも、この試合の悔しさを私は1日たりとも忘れてはいない。この悔しさがあるから強くなりたいという思いは消えない。

おまけ:その試合で入場時に義援金の受付をしていたのは当時東芝に在籍だった晴山ケビン選手でした😆

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