NHKカルチャーオンラインスタジオ 「資本論」を読む 斎藤幸平を視聴して

NHKの100分de名著シリーズで取り上げられた「資本論」の解説をなさった、斎藤幸平氏のオンライン講義があると知り、初めてZoomをインストールして拝聴した。

初めて使うので、事前にテスト視聴したにも関わらず、当日はスムーズにいかず、20分くらい遅れての視聴となってしまった。

進行はパワポの資料に沿って進められた。

なぜ今「資本論」なのか。イメージ先行で、共産主義、ソ連、中国、赤軍、極左などが想起され、敬遠されてきた感が強い。

それでは、民主主義による資本主義は本当に民主主義なのか。現代の問題でよく取り上げられる、貧困、格差、ブラック企業などはどうなのだろう。これらの問題は公平なのか。そうではないならなぜこのような問題が湧出してきたのか。

それは民主主義の問題ではなく、資本主義の問題なのではないか。新自由主義に染められた資本主義は利益主義になり、上記のような問題が生まれたのではないか。

斎藤氏の著書にもある、人の息がかかっていないものが無い世界である「人新生」になり、環境までもその息がかけられ、変動してきている。

その元凶であると思われる資本主義を見直し、新たな示唆を求めるのに今「資本論」へと惹き付けられるのではないか。

斎藤氏は「資本論」が真実で絶対であるとは言っていない。社会を別の角度から見る視点を提示し、一人では考えられない問題の助力になるだろうと言っている。

自由とは、平等とは、持続可能とは、本当の豊かさとを考えるときの思考のトレーナーとして資本論を活用してほしいとのことだった。

奇しくもこのコロナ禍という世界的なパンデミックという危機に面して、生活の不合理さが露呈した。このような危機的状況においては、古く弊害のあるシステムを見直し、新しいシステムを模索する機会だ。

それではマルクスが伝えたかったこと、そして新しいシステムに寄与しそうな考えとはなにか。

一つは「コミュニズム」だ。コミュニズムと聞くとソ連や中国の共産的な思想を連想してしまうかもしれないが、マルクスの意図はそうではなかった。コミュニズムは自由で、平等で、持続可能な豊かな社会をいう。単に貨幣や商品を多く持っていることが豊かさではなく、別の豊かさを求めることだ。

はたしてそんな豊かさを日本は持っているのか。長時間、低賃金労働の蔓延。それによる過労死。社会に役立つ仕事(エッセンシャルワーク)ほど低賃金。お金を稼げるような仕事にはクソくだらない仕事(ブルシットジョブ)が顕在している。コンビニ、ファストフード、飲み放題、ファストファッションが蔓延。これが豊かさなのか。

働きすぎて何か大切なものを失っていないか。家族や友人、趣味等に十分費やす時間的、精神的余裕はあるのか。そして地球という唯一無二なものを壊していないか。

私達は何かに急かされるように生きてはいないか。絶え間なく流れてくる広告。それに欲望が触発され、更に希少性を持たして私達を囲い込んでいく。それが資本主義の特徴だ。

それでは豊かさや富とはなんだろう。もちろん各自の価値基準がが違うのでそれぞれだろうが、資本主義の弊害的な富と豊かさに対比する富と豊かさとはなんだろうか。

斎藤氏はそれは、きれいな水や空気が潤沢にあること。緑豊かな森、誰もが思い思いに憩える公園、地域の図書館や公民館がたくさんあること。知識や文化、芸術。コミュニケーション能力や職人技も富の一つ。

貨幣では必ずしも計測はできないが、ひとりひとりが豊かに生きるために必要なものがリッチな状態、それが社会の「冨」であり、独占よりもシェアで生まれる豊かさだという。

マルクスは「否定の否定は、生産者の私的所有を再建することはせず、資本主義時代の成果を基礎とする個人的所有を作り出す。すなわち、協業と地球と労働によって生産された生産手段をコモンとして占有することを基礎とする個人的所有を再建するのである」といっている。

地球は誰のものでもなく、アソシエーションに基づいたコモン主義というコミュニズムによって、GDPだけを重視する経済から、人間・自然を重視する経済へと移り、私的所有や商品に溢れた社会から、共同所有・脱商品化を目指し、労働時間の短縮、労働の自律性、持続可能な経済による冨の豊かとの復興がコモンの再生となる。

それでは現在においてコモン化と言われるような事象はなにか。

◯水の公営化

◯市民電力

◯ワーカーズコープ

◯地産地消

◯シェアリングエコノミー

◯公営住宅

◯公共交通機関の無償化

◯医療、教育、介護

等が挙げられる。そしてコミュニズムの具体的な運用手段は、個人的にはマイケル・サンデルがコミュニタリアニズムについて述べていることと重複すると思うのだが、意思決定への参与が大切なところだ。まず自分事として捉え、考え参与することによって、自分が決めたルールだから守らなくてはならないという感覚が生まれることだ。この感覚は誰しもが経験していて、分かりやすいのではないか。そこにある種の面倒臭さや障壁感が生まれて敬遠される要素にもなりうるかもしれないが、そのような場合は無理に参与しなくてもいい。しかし決められたルールには従ってもらうが。そのような行動の連鎖がコミュニズムを生んでいくのだ。

次にコミュニズムへの誤解について。

◯脱成長=技術の否定ではない。(経済成長至上主義の否定、GNDの必要性)

◯コミュニズム=小規模のコミューンでもない(水、インターネットなどの大規模なもの)

◯コミュニズム=競争の否定、画一化ではなく、人間の欲望も認める。

◯コモン=多様な階層(民主的参加の重視。「どうすればいいか」についての一般理論はないので、各自が「自分事」として受け止め考えることが大切。自分が参加している労働組合、NPO、政党活動内において方向性を変えていく。このような組織に参加していない私なんかは、このような考えを発表できるような媒体からでもいいと思う。それこそ近しい人に話してみることから始めればいいのではないか。

◯コミュニズム=国家や市場(権力)の否定ではない。租税と再分配はもちろん、禁止措置の必要性もある。そのためには国家権力や議会民主主義も必要。

他国の具体例として、バルセロナやアムステルダムの協同組合や環境NGO、労働組合が参加する新しい経済と街づくりがある。それらを参考にしつつ私達は単なる消費活動に満足することなく、途上国において酷い労働条件で搾取する企業にNoを突きつけたり、安いという理由で製品を買わざるを得ない先進国の労働者の生活改善に協力することだという。




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