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父(というひと)【エッセイ・掌編】

 巣ごもり中、春樹の『猫を棄てる』を読む。父親のことを書いている。自粛期間中というのは、脳味噌の裏側に隠れていた記憶がほじくられるように、過去のことが蘇ってくるらしい。ふと、父のことを思い出した。小説や映画に出てきそうな、私の、“父というひと”の、話です。

 母の「骨上げ」のとき、酒気帯びた父は、遺骨で煙草に火をつけた。すると、「お義兄さん、Tちゃんのこと愛していたのねぇ」と、叔母がつぶやいた。半世紀も前、大学二年の時の話。勝新太郎が、父親や兄の遺骨を食べたという、勝らしい肉親思いの逸話を後に聞くが、あれは、異様な光景でしかなかった。
 卒後、群馬で仲間と事業を始めたころ、父がまた入院したと、北海道にいる二つ違いの弟から連絡を受ける。母の急逝の二年後、酒の飲みすぎが祟り脳溢血で倒れ、札幌の叔父の家でリハビリ生活をおくっていた。

 眠っている父を見つめ、「彼」の母親について語っていたことを、思い出していた。
 長男を寵愛する母親に反発し、よく暴れ、少年兵に志願し家を飛び出したらしい。祖母のことをよく、「クソババ」と口にしていた。祖母は祖母で、亭主と、性格が父親似の父との二人を恐れていたと話していたらしい。
 父は帰還し役人になったあと、母と見合いで結婚する。「正直」を信条としていたひとで、「商売人は嘘をつくから嫌いだ」が口癖だった。が、酒を呑むと変わった。海軍気質と生来の短気が相まって、私や弟は、よく殴られた。特に長男である私には厳しかった。祖母の長男贔屓の反動なのだろう。お年玉や小遣いは、同額だった。「弟の歳のときは、いまよりは少なかったよ」と、母には愚痴を言ったりもした。
 年に何回かは、母をも殴っていた。子どもの目の前、でも。母が実家に戻ったときも、それだけで。悪口を話しに行ったのだろうとの思い込みで。だから母は、一人はもちろん、姉妹とも旅行に出かけたことはない。私が連れて行く前に、母は逝ってしまった。

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 父が目を覚ましていた。
 「オレ、事業始めたばかりだから、すぐに戻るよ。何か欲しいものある? 」
 「ジュース、ジュース」
 と、二度繰り返した。
 買ったジュースを置き、立ち去る。

 東京に戻った二日後、訃報が届く。
 再度札幌に向かう飛行機の中。母の死後、夏休みに帰省した際、父が酒を飲みながら話していたことを思い出し、開いている文庫本の文字が、歪んだ。

 「兵隊が死ぬ真際に天皇陛下万歳と叫ぶというのは嘘だ。お母さん万歳と、叫ぶんだ」

 存命なら、今年白寿になる。決して不可能なことではなかった。母が生きていたら、自暴自棄にならずに、もう少し長生きできただろうに。

 春樹の小説のあとがきにこうある。
 「戦争というものが一人の人間の生き方や精神をどれほど大きく深く変えてしまえるかということだ」
 「父というひと」も、その一人だ。

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