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みなさんの教育論を聞いてみたい。

今日ブログに自分の教育論を書いて投稿しました。

PTA役員会の後のお酒を飲みながらの懇親会で感じたことです。

その場では「ドライすぎる」と浮いた存在になってしまいました。

しかし、ブログに記事を投稿したところ、

このような賛同のご意見をいただくことができました。

がしかし、もちろん反対意見、否定的な意見もあるはずです。(いまのところありませんが。)

そこで、

「いろんな人の教育論が聞いてみたい」

と思ったんです。

以下、ぼくの教育論をブログより全文転載します。(若干の加筆・修正をしています。)

読んでいただいて、

「もっともだ!」

「いや、それは違う!」

などの意見がございましたらコメントもしくは

Twitter

https://twitter.com/masanori_ver3

へ、ご意見ください。

また、あなたの教育論を書いた記事を読ませてください。

子育て中の人はもちろん、子どもがすでに独立した人、独身の人、子どものいない人でもかまいません。

みなさんの教育論が知りたいです。



《ここから先がブログより転載》

教師が聖職者という期待をもう辞めませんか!?小学生の親として思うこと。


今ぼくは小学校のPTA役員をしています。会長ではありませんが。

先日PTA役員での話し合いの後、懇親会をかねて飲みに行きました。

酒のせいもあってか、メンバーがそれぞれに自分の教育論みたいなのをアツく語り出しました。もちろんぼくも。

そこで今回は、そのとき話した内容を踏まえてぼくの教育論を綴ってみます。

みんな学校・教師に期待しすぎ

役員の中の1人のお父さんがこう話されました。

「教師は機械じゃないんだからマニュアル通りだけでは困る。」

「もっと子どもたちひとりひとりの個性を見てそれをのばすような教育をすべきだ。」

「子どもを教育する聖職者としての自覚をもって接してもらいたい。」

みたいな感じ。

すごくまともな一般論で他の人たちも口々に

「最近の先生はビビりすぎてマニュアル通りにしすぎだ。」

と賛同していました。

でも、ぼくはそのようには思いません。

極論、教師は最低限マニュアル通りのことだけやってくれればいいんです。

子どもの個性をのばしてほしいなんて、これっぽっちも思っていません。

ただ、個性をつぶさないでいてくれたらそれでいいんです。

みんな学校や教師に期待しすぎ。

個性をのばすのは親の役割

学校での生活の中で教師に子どもの個性に気づいてもらえることはありがたいことです。

家庭では気がつかないような子どもの特技もあるでしょう。

しかし教師の役目は、子どもの才能に気がついて親に伝える、そこまでで十分です。

「お宅のお子さんは〇〇の才能があるように感じます。ぜひ、これからもっとのばしてやってみてはいかがでしょうか?」

それだけ言ってくれれば十分なんです。

そこから先は親子で考えますから。

本人がやる気なら習い事をさせたり、塾に通わせたりしますから。

親の方から学校の教師に

「うちの子は〇〇の才能があるから学校でも、そこをのばすような教育をしてほしい。」

というのは大きな間違いですよ。

子どもの個性をのばすのは親の役割です。

教師が聖職者であるという無謀な期待

公立校の教師が公務員であることはわかる。だけど、子どもの将来を左右する仕事なんだから聖職者としての自覚を持つべきだ。ものを扱うようなマニュアル通りでは困る。

まったくもって正論です。

だけど期待しすぎ。

そもそも人間はだれでも間違えます。もちろんぼくも。そして教師も。たぶんあなたも。

そして間違えることを前提に、「いかに間違えないようにするか」の基準がマニュアルです。

もちろん「マニュアル通りにすれば絶対に間違えない」とは言えません。

マニュアルは間違いを減らすために役に立つものです。

教師に間違った教育をされたくないなら、マニュアル通りにしてもらった方がいいんですよ。

考えてみてください。

もし外科医が、

「この手術はマニュアルではこうなっているが、私の考えとしては違うやり方をした方がいい。」

といって勝手にやり方変えて失敗したら訴えますよね。

「なぜ事前に相談してくれなかったんだ!」

ってなりますよね。

教師の個人的な裁量で勝手に教育方針を決めるのはおおきな間違いです。マニュアルから外れるから間違ったときに問題になるんです。

公立の小学校はファミレスでいい

そもそも公立の小学校はファミレスと同じでいいんです。

チェーン店のファミレスならどこの店舗に行っても、どんな味か、どれくらいの料金かわかりますよね。

それと同じで公立の小学校なら、どこに行っても当たり前の教育がうけられ、当たり前の集団生活が学べる。それだけでいいんです。そこに地域差や学校の差があってはいけない。

もしファミレスがいやなら頑固オヤジのラーメン屋に行けばいいように、マニュアル通りの公立校がいやなら私立の小学校へ行けばいいんです。

選択肢は用意されているんだから。

こんなことを書くと

「うちの近くには私立の小学校なんてないし。」

とか

「金持ちの家の子どもは有名私立に通えるけど、貧乏な家の子は公立しか選択肢がないじゃないか」

と思われるかも知れません。

でも、それって学校の問題ではなく親の問題ですよね。

近くのに私立の学校がなければ引っ越してもいいんだし、お金の問題なんてまさに自分の責任です。親がいくら稼いでいるかなんて学校には関係ありません。

まとめとして

モンスターペアレントの問題も、教師への過度な期待が原因だと思います。

「教師なら聖職者としてこうあるべきだ!」

という期待が教師を苦しめ、学校をつまらなくしています。

確かに教師の中にもニュースになるような生徒の服のにおいをかいだり、いじめに荷担するような変人も紛れています。

しかし、そのような変人はごくわずかで多くの教師がぼくたちと何ら変わりのないごく普通の人間です。

ごく普通の人間に聖職者としての過度な期待をするから精神的に参ってしまう教師が増えてしまうのではないでしょうか。

教師が聖職者という期待をもう辞めませんか。


《転載はここまで》

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