世の中は高校生レベルで成り立っている

4回目の投稿です。

この題名は、ひろゆきさんの著書「1%の努力」の一節です。

 この本の中で、ひろゆきさんは以下のように言っていました。一度、 自分の仕事について考えてみてほしい。
       「これ、高校生でもできるんじゃない?」
 同じ仕事でも、高卒か大卒かで給料が異なる。大卒で偉そうにやっている仕事でも、 高校生にマニュアルを渡せばできることも多い。 机に座って簡単な事務仕事をしているだけなら、おそらく高校生にだってできる。 そうであるならば、この先不景気が続いたら、 真っ先に切られる仕事であることに気づくべきだ。
ひろゆき. 1%の努力 (Kindle の位置No.683-688). ダイヤモンド社. Kindle 版.

  私は、この文を見て今まで自分がモヤっとしていたことが一気に言語化ができました。(ひろゆきさんが言いたい事とは、恐らく違うような気もします。。。)以前、2回目の投稿で私は過去にこんな事を書いています。

 思い返せば、自分が高校生の時、ハンドボールをやっていたのですが、正直何にも考えていませんでした。何事にも受け身でした。唯一考えていたことといえば、曇り空が出てくると、雨乞いをいつもしていたくらいです笑

 そんな自分とは対照的に、選手たちは雨の時でも、できることを必ず提案してきます。
 こんな事を私は高校生時代できませんでした。そう考えると、私は偉そうに「指導者」という立場で、選手たちよりも経験があり、導いてあげなくてはいけないと思っているのはただの傲慢なんだと気づきました。私は彼女たちより、ただ単に経験があるだけにすぎず、能力やその場での判断は選手たちの方が優れているのではないかという風にも思ってきました。
 そして、同時になぜ、自分でなんでもやろうとしてしまってきたのかと後悔しました。
自分でなんでもできるはずはないのに。そして、それからは、自分は部活動という組織のトップなのではなく、組織の一員なんだという感覚を持つように意識するようにしました。

  ただ、私はひろゆきさんの文章を読んで「自分がしている事は高校生レベルなんだ。。。。」と、卑下するのではなく、高校生になれば自分で考える力は充分に持っており、何ら大人と変わらない能力があって、それに何かしらのブレーキをかけてしまっているだけだ。」と捉えました。自分を下げるというより、高校生の評価を上げるという感覚に近いかもしれません。

 ブレーキに関しては、指導者だったり、選手自身のそれまでの経験や考え方だったりと、様々な要因はあるとは思います。

ただ、指導者だからこそできる事がたくさんあると思います。(選手主導といって、全て選手に丸投げにしてしまうことはNGだと思います。バランスがめちゃくちゃ難しいのですが。別の機会にまた書きます。ロッテの吉井投手の記事がすごく参考になっています。)

 同じ能力であっても立場が違えば、選手と指導者でできることが変わってくるのは当然のことだからです。シンプルに言えば、ただの役割分担です。

 簡単に紹介させてもらいましたが、ひろゆきさんはこの本で、様々な事象を逆説的に捉えていいます。もしかすると、なんとなく息苦しく感じている日々の生活が楽になるようなヒントが隠されているかと思います。ピンときた方はぜひ読んでみてください。

 ちなみにこの本は安西渉さんという方が以下の記事で紹介していたのを見かけて、なんとなく読んでみました。ご紹介ありがとうございました。

読んでいただきありがとうございました。