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魯山人をわかりやすくする

今回は、北大路魯山人(きたおおじろさんじん)さんの作品「だしの取り方」という作品を取り上げます。

日本にはかつおぶしがたくさんあるので、そう重きをおいていないが、外国にあったら大変なことだ。外国人はかつおを知らないし、従ってかつおぶしを知らない。牛乳とか、バターとか、チーズのようなもの一本で料理をしている。しかし、これは不自由なことであって、かつおぶしのある日本人はまことに幸せである。ゆえに、かつおぶしを使って美味料理の能率をあげることを心がけるのが良い。味、栄養もいいし、よい材料を選べば、世界に類のないよいスープができる。
(北大路魯山人「だしの取り方」より引用)

文章の意味は、それほど難しくはありませんが、ちぐはぐなニオイはしますよね。細かく見てみましょう。

接続詞の扱いに注目する

どこが“ちぐはぐさ”を生み出しているのでしょう? こういう時は1文ずつみていけばよくわかります。

意味も飛んでいる感じがしますが、なにより接続詞に違和感があります。どうやら、適切な接続詞が選ばれていないようです。

いったん、接続詞を外して考えてみましょう。「かつおぶしがたくさんある」ことと「(かつおぶしに)重きをおいていない」ことは、どういう関係でしょうか? 

例えば日本にはお米がたくさんありますが、「重きをおいていない」とは言い切れませんね。

一方で、日本には銀行がたくさんありますが、みなさんが重きをおいているかと言えば、そうでも無い気もします。

つまり、「たくさんあること」と「重きをおくかどうか」については、傾向はありそうだけども、強い相関関係があるわけではないことがわかります。にもかかわらず、「〜ので」で因果関係を強調されると、すこし違和感が出てきます。

多すぎる接続詞はくどい

接続詞だけに着目してみましょう。

接続詞が多いです。しかも、わりと強い意味を持つものがたくさんあります。できれば、いくつか削れるとすっきりします。

「外国人は〜」のくだりの「従って」は、とても長い論を展開した結末に、ここぞと使うことで威力が増す言葉です。でもここでは、なくても意味が変わりません。取っても意味が変わらない接続詞を極力省いた方が、読みやすい文章になります

ほかの接続詞にも着目します。

「しかし〜」は、とても強い意味を持つ逆接の接続詞です。

ここでは「かつおぶしがある日本」と「かつおぶしがない外国」との対比なので、「しかし」で逆転するよりは「一方」として並列させた方がわかりやすいと思いました。

また登場する接続詞「ゆえに」の前後を見ると、そこまで因果関係が強くないことがわかります。これも、取ったところで文意が変わりません。いらない接続詞は極力省きましょう。

「だしの取り方」をわかりやすくする

それでは、接続の仕方に気を配って、魯山人さんの「だしの取り方」を、わかりやすく手直しをします。

日本にはかつおぶしがたくさんあり重きをおいていないが、実は違う。味、栄養もいいし、よい材料を選べば、世界に類のないよいスープができる。一方外国では、かつおを知らないのでかつおぶしもわからない。牛乳とか、バターとか、チーズのようなもので料理をしている。これは不自由なことだ。かつおぶしのある日本人はまことに幸せである。それを使って料理の能率をあげるよう心がけるのが良い。
(北大路魯山人「だしの取り方」より引用・改変)

けっこう前後の文章を入れ替えました。「たくさんあり重きをおいていないが〜」と因果関係を消し、日本と外国の対比は「一方」でつなぎます。

「かつおを知らないし、従ってかつおぶしを知らない」という文章は、「従って」が意味がないうえに、「知らない」が2度登場するので1つは違う表現にしました。

文章の構成は、(1)日本人はかつおぶしの偉大さに気づいていない(+かつおぶしの役割)、(2)外国ではだしをとるのに不自由している、(3)日本人はかつおぶしを使って料理の能率を上げた方がいい、の順番にしました。

まだ少しこなれていませんが、当初の文章と比べると読みやすいと思います。

まとめ「接続詞の扱いに注意」

まとめです。接続詞の扱いに注意しましょう。因果関係があるのかないのか、強い逆接なのかそれとも弱いのか、接続詞がなくても意味が通じるのか、といったポイントに気を配り、直すとより読みやすくなります。

論が行きつ戻りつしている場合は、思い切って元の文章の前後を入れ替えて見るのもいいでしょう。その際、何度も話が行きつ戻りつするよりも、「こういう理由があるから、こうなる」という単純な因果関係を作った方が読みやすい文章になります。

「だしの取り方」の内容と補足

この作品は、昭和初期に出版となった「星岡」という作品に掲載されている短編随筆です。魯山人さんらしく、食べ物へのこだわりが伝わってきます。魯山人さんの作品は読んだことがなかったので、本当においしいものが好きなのだなあ、と思いました。

一説によると、魯山人さんはずいぶんと気難しい方だったようです。私のように大きく文章を入れ替えると、もしかしたら顔を真っ赤にして怒ったかもしれません。実際この原稿は、同じ意味の言葉(かつおぶしのだしを良くするためよく切れる鉋を用意してほしい)が何度も繰り返し登場し、すこしくどさを感じました。現代の編集者であれば「2度も同じ意味を書かないで」と修正してしまうでしょう。さぞかし怒るだろうなあ、なんて想像をしながら手直しをしていました。

余談です。これまでのnoteのタイトルは作品名でしたが、魯山人さんの作品の知名度が低いため、悩んだ末にこのような形にしました。こちらのほうがわかりやすいですよね。

【補足事項】ここでは、現代に生きる人たちがよりわかりやすく情報を伝えるためのトレーニングとして、一般的に名著と呼ばれる書籍の文章を引用しています。修正や補完は、あくまで「現代に暮らす人たち」が理解しやすくするためのものです。登場する名著の文学的価値は依然として高いと考えています。その芸術性を否定したり不完全さを指摘したりする意図はないことを、強く宣言します。また引用した文の作者の思想や主張に、同意するものではないことも添えたいと思います。

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