本は斜めに構えて読む?
若い頃から自己啓発書なるものをたくさん読んで来た。
・経営者の方が書いた自伝的なもの
・精神世界に関するもの
・歴史上の人物について
・心理学者が書いたもの
・精神科医が書いたもの
この5つが多かったように思う。
小説はあまり読まない。
本は楽しむために読むと言うよりも「知るために読む」といった感じだ。
ただし、まんがは別腹だ 笑
本屋に入ってまず、スッと背表紙のタイトルが目に入って来た本を手に取る。
目に入って来たという直感を信じる。そして改めて表紙をじっと見る。
・興味を引くタイトルであるか?
・読む価値がある予感はするか?
・作者名は?
次に、本を開き目次に目を通す。
気になる見出しのページを開き、しばらく目を通してみる。
気持ちが惹かれて続きをじっくりと読みたくなったら読むのをやめる。
最後に著者の経歴を見ておく。
気に入れば、よし!とばかりに迷わずにレジに行く。
他の本は見ないようにする。
最初に手に取った本が気に入れば、本屋に入って5分もしないで本を買って出ていく。本は出会いだと思っているので、その日の出会いを大切にしたい。
本に敬意を表して、その日は浮気はしない。
家に帰り、最初から読み始める。
古本屋に売るためにきれいに読んだりはしない。
読んでいて疑問に感じることは書き込んだり、気になるところには付箋を貼ったり、気に入ったところには黄色の蛍光マーカーを引く。
本はたとえ1ページだけでも気に入れば良しとする。
全部が全部気に入る本は珍しい。
そんな本は、人生に1冊あれば十分だ。
自分のバイブル的な本。出会えればラッキーだ。
自己啓発書は、知らなかったことを教えてくれるし、心の支えにもなる。自分自身を強く触発することもある。
しかし、教科書ではないので、そこには誰もが納得できる答えは載っていない。読み人次第で求める答えは変わる。
「こうしなさい」
「はい!わかりました」
だけでは自己啓発書が持つ本当の価値がなくなってしまうと思う。
本は自分でよく咀嚼するものだと思う。
そのまま鵜呑みにはしない。
いい意味で、疑うことも必要だ。
なぜなら、著者は神様ではなく自分と同じ人間だからだ。
自分よりは人格者かもしれないが、どうしても納得出来ないことも言う。
自己啓発書を生かすも殺すも自分次第だ。
わたしの場合、ある本の著者に大きく裏切られた経験がある。その著者の本は何冊も読んだ。社会的に信頼を置かれる立場の人だったが、その立場を退いた後のあまりの変貌にショックを受けると共に大きく落胆した。
自己啓発書の著者だからこそ大きく落胆した。
相手が小説家なら何も問題はなかったのかもしれない。
裏切られたといっても、何か金品を奪われたわけではないが、心を奪われていたと言ってもいいかもしれない。
わたしはお人好しで人を信じてしまうタイプのようだ。他人からそう言われたこともある。
なので、自己啓発書はあえて斜めに構えて読んでいる。
最初から疑いの目で見るというわけではないが、決して妄信はしないということだ。
自己啓発書は諸刃の刃であり、毒にも薬にもなる。
その本を読むことによって良くも悪くも気づきがあったのなら、自分にとって買ってよかった本だと思いたい。
本は出会い。出会いはこれからも大事にしたい。
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