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「死者の日」

 死後も現世や未来と繋がることができるスマホアプリ「とこしえ」を作っています。死や永遠性、デスカフェやミニマリストなどをテーマに、時に脱線しつつ、「とこしえ」に関連するあれこれを、徒然に書いてみます。

 旧友に勧められて映画「リメンバー・ミー」を観てみました。メキシコの習慣である「死者の日」の一日を描いています。まだ3月ですが、すでに今年観た映画No.1です。
 劇中、「人は二度死ぬ」というセリフがでてきます。一度目は生き物としての死。二度目はあの世で迎える、存在の死。
 死後、自分のことを現世で誰も覚えていてくれなくなったときに訪れる、最後の死だといいます。誰も自分のことを覚えてくれなくなったとき、自分の存在を現世に繋ぎとめておくための何かが絶たれてしまうのでしょう。
 なんだか切ないですが、他者に思いやりを持って、やさしく接していないと覚えていてもらえません。こういう死生観は、メキシコ以外にもあります。エジプトには死者の街があるといいます。日本には死者を迎える「お盆」があります。いずれも、故人を覚えていてあげることが真ん中にあります。

 私は猫を飼っていました。テルミンという電子楽器をロシアで習いましたが、ビザ取得の便宜上、ロシア語学校に籍をおき、学生寮に暮らしました。私の部屋にネズミが出て困ることを、フロアに管理人として交代制で常駐するロシアのおばちゃんに相談したところ、ある日仔猫を連れてきました。帰国時には誰かにもらってもらうつもりが、日本にまで連れて帰ることになりました。13年共に暮らし、12年前に他界しました。


 永遠の生命はかなわないにしても、誰かが覚えていてくれる限り、誰かの心の中で生き続けられる。その猫のことも私が覚えていれば、私の意識の中に居場所があり、生き続けられる。そう思うと、死はすべてを無に帰してしまうものでもないと思えます。

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