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「100分de名著」で学ぶ福沢諭吉「学問のすゝめ 」3回目その2

出演者:
司会 --- 堀尾正明さん
アシスタント --- 瀧口友理奈さん
講師 --- 齋藤孝さん

1.前回のおさらい

「福沢は学問のすゝめ」で、他人と比較したり、他人の考えが自分の考えであるかのように振る舞う人々を厳しく批判しました。
個人一人ひとりが、人にすがらず、自分の頭で考えて判断し、行動できる独立自尊の精神を養うことで、国と対等になれると国民に訴えかけました。

2.独立心がない人の行く末

福沢は、「学問のすゝめ」で以下のように述べています。

「独立の気力なき者は、必ず人に依頼す。
人に依頼する者は、必ず人を恐る。
人を恐るる者は、必ず人にへつらふものなり。
常に人を恐れ人にへつらふ者は、次第にこれに慣れ、その面の皮鉄のごとくなりて、恥づべきを恥ぢず、論ずべきを論ぜず、人をさへ見れば、ただ腰を屈するのみ。」

この文の解釈は以下の通りです。

独立心がないと、人は卑屈になり、それが癖になり、それが本性にまでなってしまう。
また、人は卑屈になってしまうと、対等ではなくなるので、お互いに論じることもできなくなってしまう、ということを述べています。

3.独立した人の務めとは

司会者:
今の世の中の独立ということを見てみると、我が道を行く一匹狼的な感じを受けますが、福沢の言った独立というのは、どのようなものなのでしょうか?

講師:
個と公共心が密接に繋がっている独立心なんです。
公共心や社会貢献ということが離れていないもので、そのようなものが民主主義では必要だという認識を普段から持っていました。

司会者:
公共心や社会貢献について、分かりやすく説明してください。

講師:
例えば、5人のバスケットボールチームがあるとします。
その中の一人のメンバーだとしたら、責任感を感じて、サボったりしないですよね。
それが、1億人のチームだとしたら、なかなかそのようにはならず、自分くらいサボってしまっても大丈夫となってしまうかもしれません。

でも、当時の明治の頃の日本というのはまだ未熟で、手作りの国会だったんです。
ですから、一人ひとりの役割が非常に大きかったんです。

福沢は、個人が一人で独立するのではなく、社会とつながっているというあり方を人間交際と呼びました。

「およそ世に学問といひ政治といふも、みな人間交際のためにするものにて、人間の交際あらざれば、不用のものたるべし」

今はあまり使わない言葉ですが、福沢はこの言葉をよく使っていました。
この言葉は、西洋の言葉のSociety(社会)が元になっています。
今、Societyという言葉は、社会システムのような、大きな捉え方になっています。
そうではなくて、Societyという言葉は、実は人間同士の生きた関係も表しています。
ですから、人間交際という言葉にもそのような意味合いがあるんです。
人間交際という言葉は、付き合っている者同士の肌触りや息遣いが感じられる言葉でいい言葉だと思います。

司会者:
現代は社会が複雑化して、情報手段もインターネットなどのツールがいろいろとあります。
そのようなコミュニケーションツールがいっぱいある中での付き合いというのが、ものすごく難しくなってきていると思いますし、下手になってきているとも思います。

講師:
身体で使うコミュニケーションも減ってきていますしね。

福沢は、独立を説いたけれども、孤立ということを戒めました。
孤立というのは、独立と違って、他との関係を切ってしまうことで、それは良くないことだとしています。

4.人間交際を活発にする方法

福沢は「学問のすゝめ」で、人間交際を活発にする方法を、具体的に教えてくれています。

1.弁舌を学ぶこと。
話し言葉を上手にする。

2.顔色容貌を快活にすること。
表情や見た目を元気にし、上機嫌に見せること。

福沢は、「人の顔色はなほ家の門戸のごとし」
とも言っています。

3.交際を広く求めること。
人間関係を閉じない。
10人友達ができたうち、1人親友ができたとしたら、20人友達ができたら、2人友達ができる可能性があるので、広く交際した方が良いと言っています。
相手の趣味や特技に合わせて、独立した個人が交流することで社会全体が活発になると、福沢は述べています。

アシスタント:
最近人付き合いの本など書店でも多く見られますが、まさにその元祖といった本ですね。

次回は、独立した人が築く社会のあり方について、学んでいきます。

6.ここまでの感想

福沢は、個人一人ひとりが独立心を持つことで、お互いに対等の関係を持つことができ、また、独立した個人同士が活発に交流することで、社会全体がよくなると考えたということを学びました。

幕府の二大藩が、後の政府の実権を引き継いだために、西洋よりは市民の権利に対する国民の意識も低かったのではないかと思います。

福沢は、西洋の社会を直接視察し、個人の主張が認められる様子をリアルに感じることができたからこそ、日本の個人を尊重する見方が遅れていたことに気づけたのだと思います。
しかし、海外事情に疎い一般人には何のことを言っているのか分からないといった状況だったのではないかと思います。

他人と対等な関係を持つためには自分の頭で考え、判断し、相手にもその考えを示していくということが、その手段や方法が変わっても、変わりなく必要なことで、基本的なことだと、今回気付かされました。
そして、いろいろな考え方や意見があることを認められる社会が、本当の良い社会なのではないかと考えさせられました。

※NHKオンデマンド、U-NEXTなどの動画サイトで、ご覧いただけるNHK番組「100分de名著」を元に、学んだり、感じたりしたポイントをお伝えしています。

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