見出し画像

一を聞いたら十しゃべる学芸員の矢内さんは自粛に耐えられたのか

大阪府の堺市役所21階展望ロビーで2年前に開かれた映画『嘘八百』パネル展。「私が写ってます」とうれしそうに写真を指差す男性が、知る人ぞ知る、でも知らない人は「誰それ?」な堺市博物館の名物学芸員・矢内一磨さん。

で、矢内さんが指差しているのは、写真の右の人? 左の人?

新キャラ「学芸員」が爆誕

とにかくようしゃべる矢内さん。一を聞いたら十しゃべる。専門は一休さんやけど、千利休のことを聞いたら万利休になって返ってくる。

そんなわけで幻の利休の茶碗をでっち上げる映画『嘘八百』の脚本開発(足立紳さんと共同執筆)からお世話になった。

堺市出身のわたしと矢内さんは脚本作りのワークショップを何度か一緒にやっていて、「矢内さんもようしゃべるけど、わたしも負けてへん」な仲。矢内さんが尋常じゃないことに気づいていなかった。

でも、矢内さんの十倍論法を初めて浴びた武正晴監督には衝撃だったらしい。さかい利晶の杜(利休と与謝野晶子のテーマ館。ここにも矢内さんが出没する)と堺市博物館を案内する間、利休についてしゃべり続けた矢内さん。話を聞き終えて監督が言った。

「あのキャラ最高ですね。『学芸員』という役をつくりましょう」

こうして脚本になかった「利休の追っかけ学芸員・田中四郎」が生まれた。名前は利休の幼名、田中与四郎に由来する。脚本では「学芸員」と表記した。息継ぎのない矢内さんの口調をセリフで表そうと「句読点なし」で書いたら、読みにくいと不評で、後からつけた。稿を重ねるたびに学芸員のセリフと出番がふえた。

どんなことになったかは、こちらをぜひ。

「学芸員」を演じたのは塚地武雅さん。矢内さんと撮影前に一瞬会われたそうだが、脚本から膨らませたのか、本人からインスピレーションを得たのか、見事な「写し」になっていた。矢内さんの講座を受講しているおばあちゃんが「先生が映画に出てはった!」と言い、あれは役者さんなんですよと矢内さん本人が否定しても「いいえ、絶対に先生です!」と言い張ったほど似ていた。

そっくりぶりがネットニュースにもなった。左が矢内さん。右が塚地さん演じる「学芸員」。

矢内さんに会いに堺市にやって来る人が続出。矢内さんとロケ地をめぐるバスツアーは瞬く間に完売した。

矢内さんは「学芸員」が着ているものとよく似たアーガイル柄のベストを購入し、「田中」と手書きした学芸員ストラップも用意して、訪れたファンを絶好調のしゃべりでもてなし、「似てるー❤︎」と喜ばせた。

こうして「本物の学芸員」が「役者の演じる写し」を模倣するという二次創作が生まれた。原作の映画化からノベライズが生まれるような感じだろうか。

ノリノリの矢内さん、劇中のシーンの再現もやってくれた。

愛とアイデアがほとばしるブレーン

「学芸員」のモデルになっただけではない。矢内さんは脚本と小説版のブレーンとして、作品にあふれんばかりのアイデアと愛を授けてくれた。

矢内さんが来ると「あの人、話長いから」と観光ボランティアが逃げる「観ボラ散らし」の異名を持つ矢内さん。

とめどないおしゃべりに耐えられなくなり、「スピハラです!」と訴えられた矢内さん。

「俺のほうが弁が立つ」と勝負を挑んできた相手と7時間の論戦の末、「言うことがなくなりました」と言わしめた矢内さん。

帰宅後の怒涛のしゃべりを一人で受け止めきれなくなった夫人から「今日からこれを私だと思って話しかけて」とぬいぐるみのぞうさん(写真↓)を贈られた矢内さん。

画像7

数々の伝説を誇る矢内さんの熱量が『嘘八百』に注がれることになった。

しゃべるからには中身が要る。矢内さんのしゃべりは、ほとばしる知識の泉。出し惜しみするどころか、しゃべればしゃべるほど湧いてくる。

矢内さん曰く、

「矢内(YANAI)には愛( I )があります!」

『嘘八百』公開中の2018年2月、多数のエキストラ出演でご協力いただいた「つぼ市製茶本舗」の茶寮で、矢内さんを「先生」と仰ぐ谷本順一社長と矢内さんと三人で会食した。

「映画を観て、どうしてもわからんことがあるんです。茶碗の譲り状にある利休が詠んだ和歌、あれがどんだけ探しても出てこないんですわ」と谷本社長。

「あの和歌は私が書いたんです」と矢内さんが言うと、「すっかり騙されてましたわー」と社長はずっこけた。

その和歌を、劇中で中井貴一さん演じる古美術商の小池則夫が佐々木蔵之介さん演じる陶芸家の野田佐輔に解説している。

則 夫「(和歌をそらんじて)きょう落つる 露ひとしづく 和泉の津 わたのはらにて 一人遊ばむ
佐 輔「それ何? 百人一首?」
則 夫「(呆れて)譲り状に書いてあった利休の和歌だよ」
佐 輔「はあ」
則 夫「京の都で今日落ちる、わが命の露のひとしずくは、和泉の津に帰り、わたのはらを自由に舞いたい、そんな歌だ」
佐 輔「わたのはらて、どんな野原?」
則 夫「野原じゃない、海だよ。大海原だ」
佐 輔「大海原……」

「大海原」のキーワードは「お茶碗の中に大海原を描くように作るよう教わりました」という堺の陶芸家の昼馬和代さんの言葉からいただいたが、「利休の時代、大海原とは言いませんでした。わたのはらです!」と矢内さんは言い、和歌に詠み込んだ。

その和歌からひらめきを得て、野田佐輔の手が翡翠楽茶碗「大海原」を作り上げ(作陶は昼馬和代さん)、小池則夫の口が一億に値を吊り上げる(消費税八パーセント分、八百万円も上乗せ。坂田利夫師匠演じる表具屋よっちゃんが「嘘八百万円」とボケてくれる)。

和歌からして史実にないのだから、その和歌が譲り状にしたためられた「幻の利休の茶碗」も、もちろん史実にない。「脚本がでっち上げた茶碗を劇中ででっち上げる」という二層構造の映画の嘘。それを支えているのは矢内さんの博識。

シナハンのときの矢内さんの第一声「利休いうたらカモメです」の根拠になっている「あくびと書いて『欠伸稿(かんしんこう)』」は、「千利休」で検索しても出て来ない。欠伸稿をこよなく愛読し、内容が頭に入っている矢内さんだから、すっと取り出せた。矢内さんの言葉はそのまま「学芸員」のセリフにいただいた。

ちなみに欠伸稿は信長・秀吉の茶頭で利休のライバルだった津田宗及(つだそうぎゅう)の息子、江月宗玩(こうげつそうがん)の語録を集めたもの。「欠伸」は「呼吸」の意味。息するように口から出た言葉をまとめた、ということだろうか。

宗玩の自筆本を翻刻したものを8800円で購入できる。17世紀から読み継がれている超ロングセラー。『嘘八百』のオープニングにも登場している。小池則夫の愛読書らしい。

矢内さんの著書「一休派の結衆と史的展開の研究」は7800円。

amazonでは中古本で8800円から。欠伸稿とええ勝負してはる。

つぼ市茶寮での矢内さんも絶好調だった。しゃべる、しゃべる、しゃべる。よう動く。

画像2

「矢内さんと行くロケ地巡りツアー」の少し前のことで、「お客さん、こわいもん知らずですねえ。私とバスに乗ったら降りられへんのですよ。私のしゃべりから逃げたくても逃げられないんですよ」とウハウハしていた。

つぼ市さん特製「嘘八百パフェ」を食後にいただきながら、さらにしゃべった。

「800」と「カモメ」があしらわれたパフェ。映画公開中の期間限定メニューで、たしか800円だった。

画像3

行き場をなくした言葉がしなびる危機

続編『嘘八百 京町ロワイヤル』(2020年1月31日公開。7月8日DVD/Blu-ray発売)でも矢内さんは大活躍。古田織部の幻の茶碗「はたかけ」のアイデアを授けてくれた。「学芸員」の出番は前作より減ったが、インパクトとともに肝となるセリフを放ち、存在感を見せた。 

『嘘八百』シリーズの「学芸員」を黙らせるのが難しいように、矢内さんのおしゃべりを封じるのは至難のワザだ。コロナ禍による自粛で堺市博物館も利晶の杜も休館となったと聞いて、心配になった。

わたしが会社員をやめて専業物書きになったときの体験だが、会社に行かなくなって、たくさんの言葉が行き場をなくした。

「おはよう」「その靴どこの?」「髪切った?」「お昼どこ行く?」「お茶する?」「帰り、食べてく?」

何気ない会話が宙に浮き、使われなかった言葉が日毎に溜まっていった。言葉には一日に使うべき量があり、使い切らないと鮮度を失い、干からびていくのだと感じた。冷蔵庫でほったらかしにされた野菜のように。

デパートのトイレで手を洗っているとき、隣で化粧直しをしている婦人に「すみません。いま、話しかけてもいいですか?」と声をかけたら、ギョッとされた。

それほど言葉が出口を求めて暴発寸前になっていた。話しかける相手のいない時間の長さに慣れるまでに、ひと月ほどかかった。

突然のリモート勤務で同じ感覚を味わった人もいるかもしれない。そんな人たちが言葉を解き放つ場を求めてzoom飲み会を企画しているようにも思う。

矢内さん、大丈夫やろか。

『嘘八百  京町ロワイヤル』の登り窯の撮影を見に行ったとき、「アクション」から「カット」までは黙っていられたけど、せいぜい数分のこと。数か月規模となると、沈黙の許容量を超えてしまうのでは。

画像3

3月半ばに矢内さんからのLINEで「晶子桜」の写真が届いた。

画像4

「寂しい」と繰り返す矢内さんが心配になったが、4月の終わり、GWならぬステイホーム週間に入る前に届いたLINEは言葉が弾んでいた。

画像5

利晶の杜を案内する動画で矢内さんの出番が!

その後、撮り直しになり(矢内さん、またしゃべれて良かった)、熱量おさえめの「よそ行き矢内さん」が見られた。

矢内さんからクイズのおまけも。

画像6

利休エリアと晶子エリアで矢内さんのどこが変わっているか、「子どもはすぐに言い当てます!」とのこと。子ども向けイベントで大人気の矢内さん、オンラインでも子どもファンを獲得⁉︎

日経ニュースのトップ画像にも堂々登場。

利晶の杜は堺市博物館とともに今日から開館。リモートミュージアムは続けるとのことで、堺に行けない人たちにはうれしい試み。

カモメたちと飛んだ「大海原」(掘り出し原稿)

矢内さんと『嘘八百』の関わりは産経新聞関西版の連載「銀幕裏の声」で詳しく書いていただいた。

わたしはJR西日本の「Blue Signal」2017年9月号の「出会いの旅」エッセイに「『嘘八百』で見つけた堺のお宝」と題して矢内さんのことを書いた。

その後、掲載エッセイをまとめた単行本『心に輝く 旅の宝石箱』にも入れてもらった。

もちろん、『嘘八百』の劇場パンフにも矢内さんのことを書いた。

堺にこんな熱い学芸員さんおるよとあちこちで言いふらすのが、いただいた愛とアイデアへのお礼になればと思っている。

ここで矢内さん語録をもうひとつ。

「今井(IMAI)には愛( I )が二つあります!」 

画像8

✒︎✒︎✒︎✒︎✒︎劇場パンフ原稿はじめ✒︎✒︎✒︎✒︎✒︎

「カモメたちと飛んだ『大海原』」 今井雅子

「まず、利休いうたらカモメです」
 堺市博物館学芸員・矢内一磨さんの一言が、人生のどん底を這うダメ男二人の物語に、空へ、海へという広がりを持たせてくれました。
 幻の利休の茶碗の有りようについて取材した堺の陶芸家・昼馬和代さんには、「茶碗の口は小さいけれど、利休はその中に『大海原』を見ていたんやないでしょうか」と教えていただきました(カモメとつながった!)。
 さらに、「緑楽」のアイデアも昼馬さんにいただきました。利休が考案し、陶工・長次郎が形にした楽焼といえば、黒楽か赤楽。お茶と溶け合うような色の茶碗を利休が作らせたとしたら、その心は……と想像をかきたてられました。
 千利休について尋ねると万利休(十倍!)になって返ってくる矢内さん(強烈なキャラクターを武正晴監督が面白がり、「利休の追っかけ学芸員」という登場人物が誕生!)。粘土を何十キロも使って、緑楽『大海原』の試作を繰り返した昼馬さん。お二人から連想したのは、小説『かもめのジョナサン』の主人公。食べることしか頭にない仲間たちと違い、「寝食を忘れて」飛ぶことを楽しむジョナサンの姿を中井貴一さん演じる古美術商と佐々木蔵之介さん演じる陶芸家にも投影しました。
 さらに、苦節カモメ(飛ぶことを優先したために長年売れなかった!)の脚本家・足立紳さんの実感が、ダメ男二人のリアリティを強化してくれました。
 作曲家クロード・ドビュッシーが「L’art est le plus beau des mensonges.(芸術とは、数ある嘘のなかで最も美しい嘘のことである)」という言葉を遺しています。『嘘八百』、カモメたちの力が合わさって、堺を舞台に大きな嘘をつけました。

✒︎✒︎✒︎✒︎✒︎劇場パンフ原稿おわり✒︎✒︎✒︎✒︎✒︎

矢内さんの愛とアイデアが注がれた小説版もぜひ。

そして一休さんから親鸞さんに

2022.5.15追記。

後日談はさらに続く。2021年、「昔話法廷」の裁判資料の絵を手がける伊野孝行さんと矢内さんが一休ゆかりの寺の再建費用の一部を募るクラウドファンディングでつながった。

「おとなの一休さん」の絵でおなじみの伊野さんと矢内さんは元々一休さんの縁があり、お互いを認識しつつも会ったことがなかったのだが、クラファン盛り上げのインスタライブで初顔合わせすることになった。

それぞれ面白い矢内さんと伊野さんを掛け合わせたらどうなるのかと興味津々で観たら、さらにお二人、キャラも知識も濃い出席者が合わさり、知性とユーモアを煮詰めたようなトークとなった(アーカイブがYouTubeに)。

矢内さんは隙あらば「嘘八百」を連発。さらに舞台裏でわたしの話になり、興味を持ってくださった出演のお一人、親鸞仏教センターの飯島孝良さんから「アンジャリ」という機関紙への原稿依頼が舞い込んだ。もちろん矢内さんのことを書いた。

2022年5月に公開されたウェブ版で読めるのでぜひ。

動画で紹介された矢内さん

2023.3.24 矢内さんから送られてきたアドレスを開くと、紙のパンダをかぶった人物が矢内さんを紹介するyoutube動画。

clubhouse朗読をreplayで

2022.11.5 利晶の杜で矢内さんに会ったことのあるやまねたけしさんが初朗読。

2023.3.2 小羽勝也さん



目に留めていただき、ありがとうございます。わたしが物書きでいられるのは、面白がってくださる方々のおかげです。