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そして鉱山が現れた

6月3日に結果発表があった岸田奈美さんのキナリ杯(【賞金100万円&50賞】岸田奈美のキナリ杯!おもしろい文章が読みたい 【終了】)。

全50賞を14時から1時間ごとに刻んで発表して盛り上げ、21時からの優勝発表に持ち込み、22時からの生配信で大団円を迎えるスケジュール。

西田梓さんのnoteを応援したくてnoteを始め、キナリ杯書かない?と口説いた友人二人(松永友美さん小早川愛さん)もnoteを始め、さらに応募作もいくつか読んでいたわたしは、応募者じゃないけど関係者の気持ちで発表を追っていた。

あの作品は入るのか。いつ取り上げられるのか。

このソワソワ感、どこかで。

デジャヴをたどった先に20世紀があった。糸井重里さんの「100万円のコピー大賞」だ。

「100万円のコピー大賞」のエンタメ感

正式な名前は「100万円大賞ラジオCMコピー大会」といったらしいが、わたしのまわりでは「100万円のコピー大賞」と呼んでいた。調べたら2003年に開催された第19回の募集ページがヒットした。それが最後の開催だったのだろうか。

コピーライターを目指す人たちの登竜門のような賞で、若手コピーライターもこぞって応募していた。広告代理店の営業やメディア担当で、賞を獲ってクリエイティブ配属の切符を手にしようとしている人もいた。

ミレニアム前、駆け出しコピーライターだった20代のわたしは、何度か応募し、一度だけノミネート作品に選ばれた。確か「パッとさいでりあ」で作ったものだ(今も続く「宣伝会議賞」と同じように、スポンサー企業が出した課題から選んで応募した)。

里帰りした若い男が道を尋ねる。「あのー、この辺りに築50年ほどのボロ家があったはずなんですけど」。聞かれた中年女性が答える。「さいでりあした自分の家を忘れるのはいいけど、化粧した自分の母親を忘れるんでねぇ」

そんな内容だった。

応募は確かハガキで、ノミネートの通知もハガキで届いた。墨一色の印刷に四角囲みの窓が空いていて、そこに作品名が手書きされていた覚えがある。番組の放送日時も記されていた。

もし100万円獲れたらどうしようと獲らぬ狸の皮算用が始まった。糸井重里さんに会えるんやろか。取材されて新聞に載ったらどないしよと先走った。ラジオ聴いてねと合コンで会った子に宣伝した。ツイッターもfacebookもまだなく、口コミの時代だった。それでも、あの代理店のあいつもノミネートされたらしいと噂が回ってきた。

100万円もらえる大賞の他にもいくつか賞があり、どれにも引っかからなかった。自分のラジオCMコピーが番組で読まれたのかどうか、その記憶もあやふやだ。役者さんの達者なやりとりを聴いたような気もするけれど、わたしの妄想の脳内再生だったかもしれない。たしかに覚えているのは、放送中の「まだか、次か」のソワソワだ。

募集を知り、自信作が生まれてヨッシャーなり、ポストに手を合わせて応募し、ノミネートの連絡を今か今かと待ち、アパートの集合ポストのDMに交じった通知ハガキを見つけ…発表当日までにもワクワクやソワソワのさざ波が押しては返した。

100万円のコピー大賞は登竜門であると同時にお祭りだった。

時は巡り、2020年。わたしがコピー大賞やらシナリオ大賞やらに応募していた頃とさほど歳の変わらない岸田奈美さんが、ラジオではなくネットを舞台に書き手のお祭りを立ち上げた。

結果発表に続いて22時からのライブ配信で、岸田さんはキナリ杯を「フェス」と呼んだ。受賞者さんたちも集まり、チャットの書き込みに岸田さんが応じて生講評。授賞式の後の懇親会をオンラインでやっている感じだった。

ステイホームで集まれないから、じゃなくて、みんながどこからでも集まれる形がこれだったというような軽やかさが岸田さんらしい。

ネットの上で飛び入り歓迎の閉会式を開き、「後夜祭」と銘打って他薦作品を募ったり、自薦キャンプファイヤーを開いたり、冷めやらぬ熱気の行き先を用意している。

コンクールってここまでエンターテイメントにできるのかと感心する。そこにも気負いがない。岸田さんが「こうしたら面白いんちゃう?」「こんなんあったらうれしいんちゃう?」と自分が楽しいことを形にしていったら、複利で楽しさがふえている感じだ。

言葉の引き出し力も人とネタの引き寄せ力もハンパない岸田さんを勝手に「万能引力の人」と呼ばせてもらっているが、その引力には回転もかかっていて、ふらっと近づいた相手を気づかないうちに巻き込んでしまう(記憶に新しい「ルンバに吸い込まれたスズメバチ」も巻き込み力の犠牲者かもしれない)。

書き手と読み手の接点がどんどんふえて、あっちの線とこっちの線が交わり、つながり、後夜祭は終わりそうにない。後夜祭から参加した人もいる。埋み火がチロチロ燃えている枕木をひっくり返し、おしゃべりは続く。

「胸の映写機」が回っている

ひとつ前のnote(キナリ杯というドア)に「コンクールはドアのようなもの」と書いた。わたしはドアを開けて物書きになった。キナリ杯に応募しなかったのは、「受賞してしまったら誰かがドアを開けるチャンスを奪ってしまう」という遠慮と「受賞しなかったらかっこ悪い」という保身からだった。

14時からの結果発表第一弾を見て、後者一択やないかとなった。わたしが応募していても引っかかってないわこれは。鮮度バツグンのネタを絶妙に調理した力作がいきなり来た。優勝発表4時間前に。

脚本家の性分で、活字を見ると映像を思い浮かべてしまう。脚本は映像や音声を文字に翻訳したもの。その逆の行程が頭の中で繰り広げられる。受賞作はどれもくっきりしたキャラと場面を浮かび上がらせる。解像度が実に高い。

先日zoom会議でプロデューサーが言った。

「リアリティにはかないませんよ」

ほんとその通りだ。実話は強い。頭で思いついたキャラじゃなくて血肉が通った人物が放つセリフ、起こす行動は、細胞レベルで裏打ちされている。こまつ座の舞台で観た井上ひさしの『組曲虐殺』の名場面が蘇る。劇中で小林多喜二は言うのだ。体ぜんたいでぶつかって書くとき、胸の映写機がカタカタ回りだし、その人にとって、かけがえのない光景を原稿用紙の上に、銀のように燃え上がらせるのだと。

書き手の「胸の映写機」が回っている作品を読むと、読み手の胸の映写機も回りだす。

準々決勝5に選ばれた島田彩さんの「小学1年生ぶりに、父の前で真っ裸になった話」には出だしからつかまれ、早々とカタカタが鳴った。

「お父さん、ヌードを撮ってくれませんか。」 もうすぐ30歳になる私が、父に送ったLINE。

その後のお父さんの返事も、写真家だったお父さんに起こった出来事も、実話ならではの予想のつかないことの連続で、だけど生き生きと鮮やかに想像できた。読み終えたとき、一本の映画を観終えたようだった。読み応えというのか、見応えというのか。一つの物語に立ち会った充足感があった。

作品から思い浮かべる情景がいつの間にか自分の遠い記憶に重なったりもする。作品の回想と自分の回想が並走する自転車のように近づいたり離れたり。改行が多めで、数行空けるなど余白を多目に取る書き手が多いのがnoteの特長だけど(わたしもnoteに書くときは改行をふやしている)、それが読み手の想像をかきたてる効果も生んでいる。

「余白とは、心を寄せる隙間のこと」

わたしがコンクールをドアに喩えた創作ドラマ対策講座で登壇されたNHKドラマ部プロデューサーの内田ゆきさん(後に朝ドラ「スカーレット」の制作統括に)が言われた言葉に膝を100回叩いたものだが、高い解像度と余白の合わせ技で脳内スクリーンに名作が映し出される。受賞作だけでなく自薦他薦の作品もどんどん読んでいるところだが、そんな作品に高確率で出会えている。

例えば、受賞は逃したが後夜祭で熱い他薦が寄せられた石澤大輔さんの「【#キナリ杯】ハトを飛ばして1日ハト部になった話」。ピンボケの卒業アルバム写真からの連想も手伝い、わたしの脳内では学ランを着た柄本佑さんで再生された。

手垢のついてない原作がザックザク

審査員の数だけ好みは分かれる。声の大きい審査員に押されることもある。バランスを取って入れときましょという作品が滑り込んだりする。だが、岸田さんが約4200編の応募作品をすべて一人で読んで選んだキナリ杯の受賞作は、別方向に熱を放ちながら一貫性がある。受賞作の顔ぶれから選んだ人の顔が浮かぶ。ミニシアターの上映ラインナップのように。

一冊の本にまとめたときに、それぞれが存在感を主張しつつもチグハグな不協和音やドドメ色にならず、巻末までギアを上げて突っ走れる作品集になりそうだ。実際、書籍化が検討されているらしい。話が早い。仕事が早い。

だったら映像もいけるんじゃないか。「世にも奇妙な物語」スタイルの短編オムニバスのドラマとか、映画とか。すでに映画やミニシアターに喩えているけど、映像の原作として読んでいる自分に気づく。

惜しまれつつ閉店した六本木の青山ブックセンターの新刊本平積みコーナーで映画プロデューサーに何度か遭遇したことがある。映像化できそうな原作を探しているのだ。しかし、世に出てしまった時点では出遅れている。ゲラの段階で誰かの目に留まり、唾をつけられているかもしれない。

胸の映写機を回してくれる作品たちが集まるキナリ杯は、手垢のついていない原作の宝庫だ。宝の山だ。

これも広告代理店時代の思い出だが、先輩コピーライターがボツになったコピー(A4用紙を横に使い、一枚に一案打っていた)を打ち合わせ室の壁に張り、「ボツ墓場」と呼んでいた。ボツがどんどんふえて壁一面になったとき、もはや墓場ではないと呼び名を変えることになり、「ボツ古墳」と名づけられた。

名前のスケールを実態に合わせるのであれば、宝の山の上を行く「鉱山」と呼ぼう。磨けば面白くなりそうな思いつきやネタを「鉱脈がある」と言い、脚本打ちでもよく使うが、まさに鉱脈が眠っている。

撮影が飛び、新規企画も止まり、時間を持て余しているプロデューサーの皆さん、掘り甲斐ありそうな山が現れましたよ。

作品だけじゃなくて作家も掘り起こされるときを待っている鉱山だ。ホームラン級の作品の他に隠し球を持ったすごい書き手がいるかもしれない。ドアの向こう側にいる世の物書きたちは芝生で寝そべっている場合じゃない。わたしもな。


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