沓沢 游

寺の息子。すなわち父親は寺である。 思考や構造の話をします。 人生の目標はカレーを美…

沓沢 游

寺の息子。すなわち父親は寺である。 思考や構造の話をします。 人生の目標はカレーを美味しく食べること。

最近の記事

苦しみに寄り添うこと

目の前にいる人が苦しんでいる。 そんなとき僕たちにできることは何なのか。 僕が少し前まで一緒にいた恋人は、苦しみを抱えた人だった。 彼女は、過去に受けた傷ゆえに、彼女自身やその周囲の弱さを許せなかった。肉体的にも、精神的にも弱い人という風に僕には見えていた。 彼女はいつも苦しんでいた。そんな彼女の苦しみを近くで見続けたことで、僕自身はどう変わっていったのだろうか。彼女との1年ほどの記憶を遡って、苦しみと向き合うことについて考えていきたい。 彼女の苦しみ この記事を書い

    • 宗教とシロアリについて、父との対話

      福井にいる父親と、館山へ車で旅をした。 父はダイビング、僕はその間浜とか島をめぐって、そのあと二人でお土産を買った。東京に住む弟のアメフトの試合を見て、三人で焼き肉を食べた。 色んな話をしたけれど、その中でも記憶から薄れない話をここに記そう。 寺とは 筆者は寺の子である。すなわち、父親は寺である。 数十年前まで、父も寺の子であった。 こんな二人が車に乗れば、語ることは寺のことに決まっている。 寺というのは、いろんな顔を持つ施設であるが、僕と父親の共通した意識として、「心

      • 「愛」について語るときが来たらしい

        愛かあ。 今までそれについて語って来なかったことに深い理由はない。避けていたわけでもないが、語る機会に巡り合わなかっただけのことだ。 けど、語るときが来たらしい。 「愛」ってものが一体自分にとって何者なのか、そろそろ見定めないといけないみたいだ。 いまの僕にとっての「愛」 とりあえず、この記事を書き始める時点での愛についての僕の考えを一言で書き記しておく。 僕にとっての愛は 、、、正直わからない気持ちもあるが、とりあえず書いておくと 『人を憂う』ことかなあ。 人の悲し

      苦しみに寄り添うこと