三州三河みりん_

発酵・醸造文化から学ぶ人づくり(2)

みりんはお米のリキュールです。」そう説明をしてくれた角谷文次郎商店の角谷社長。実際、差し出されたみりんを口にしてみると、何とも言えない甘さが口の中で広がります。

みりん②

頂いたみりんは2種類。一つは有機米の仕込みのものと、そうでないもの。どちらも美味しかったのですが有機米のほうは見た目も色濃く、口の中に入れると旨味が後からふわっと広がってきます。まるでカクテルを飲んでいるようなうっとりとするような美味しさ。明治時代、女性が甘い滋養飲料として好んだというのも頷けます。

みりんは、焼酎に蒸したもち米と米糀を一緒に仕込み、もろみを絞って長期間醸造熟成をして出来上がります。

素材の良さを最大限に引き出す

角谷社長はみりんについて「腸に入ったときの美味しさをまるごと味わってもらうんだ。」と言います。つまり、ご飯をじっくりと噛むと、口の中の酵素によって甘くなり、腸に届くころにはでんぷんが糖へと変わっていきます。「糀という素晴らしい働きをする力を借りて、お米のおいしさを(腸に届く前に直接)味わってもらう。」それも「足し算のつもりが掛け算になっていく」というのです。それぞれの素材がもつ特性を活かして相乗効果を出しながら、素材のもつ良さを最大限に活かしていくということでしょうか。

また、「みりんの甘さを砂糖の甘さとは違って、きれがいい。吸い込まれるように消えていく引きの良さ。この引きの良さがあるから旨味を味わうことができる。砂糖のような重い、しつこい甘さだと旨味がわからない。みりんにはひきのいい上品な甘さがある。」とも。その言葉の端々にみりんへの愛情が滲み出ます。

そんな華やかな表現をされたみりんではありますが、実際に使用されるのは、調味料の中の引き立て役。食材の照りや艶を出したり、旨味を閉じ込めたりするのに役立ちます。また荷崩れを防ぐ役割もあります。

糀が米の素材の良さを引き出すコーチ役だとしたら、それによって生まれたみりんは、あらゆる食材を華やかせるプロデューサーなのかもしれません。食べ物の世界にもそれぞれの役割があって、お互いが連携しながら引き立て合っているのかと思うと何だか面白いですね。

想いを届ける

今回、実際に蔵にお邪魔し、蔵元がどんな想いで造られているのかを直接お聞きすることで、「みりん」と「みりん風調味料」の違いもよくわかりました。

かつては、酒販店によって御用聞き販売されていた味噌・醤油等の調味料。漫画サザエさんに出てくる三平さんのように、御用聞きによる配達商品がいつしか買い回り商品へと変わっていったそうです。酒販免許のないスーパーでは調味料の品ぞろえの必要性から「みりん」ではない「新みりん」「塩みりん」が正しい情報がないまま並べられ急成長していきました。そして今日の「みりん風調味料」になったとのことです。今では、「みりん」を遥かに超える生産量になっているそうです。

それぞれの使い方があるので、どちらがいい悪いということではないでしょうが、値段だけで判断し、正しい情報が十分に伝わらないまま使用している消費者も多いかもしれません。対面販売が基本であった昔は、そこに造り手の想いを伝える役割と機能があったことを教えてくれます。

角谷文次郎商店は100年以上続く歴史ある蔵元です。江戸時代、呉服は「越後屋」、花火は「玉屋」そして酒類は「三河屋」と代名詞になるほど、200年以上続いたみりんの本場・三河で、原料焼酎の仕込みから本格みりんを造ってきた誇りが蔵元のお話から伺えます。

今も昔と変わらず、もろみから絞る際には機会を使わず手絞りをされているこだわり。その理由を聞くと、手絞りのほうがほどよい旨味を残すからとのこと。機械だときれいに絞り切ってしまうため、味わいが出ないというのです。そのバランスはまさに職人技。

暮らしから生まれた知恵

気候や天気よって微生物の働きは大きく変わります。良い菌であれば発酵。悪い菌が付けば腐敗。お米の良さを最大限に活かすために、何(誰)と組み合わせていくのか。自然の変化を感じながら、自然と共に暮らす。

製造工程で使われなくなった良質なみりん粕は、名古屋の名産、守口漬の甘味として活かされていきます。酢と同様、またしても無駄がない。

もったいないから生まれた生活の知恵は、時代の最先端を走っているようにも見えます。サスティナブルな循環が地域の中で起なわれ、伝統産業として根付いてきたんですね。

時代の変化とともに産業構造も変わり、人のありようも変わってくるのかもしれませんが、それでも温故知新という言葉があるように、「故(ふる)きを温(たず)ねて、新しきを知る。」

一つの基準で簡単に切り捨てたり、排除したりするのではなく、なければあるものを活用し、それぞれの組み合わせ方によってそのもっている素材(特性)を別の形にして最大限に活かし合っていく

SDGsが掲げる「誰一人取り残さない社会」を目指していく上で、時代の風雪に耐え、何代も暖簾を守って育まれてきた醸造文化は、これから私たちが向かうべき方向のヒントを教えてくれるようでもあります。

次回は醸造文化から少し離れて、江戸時代の子育てや教育を見ながら、これからの教育について考えてみたいと思います。

200年以上天下泰平が続いた江戸時代。どんな教育がされていたのでしょうか?

お楽しみに!!

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