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男性たちはなぜ家事育児について機能不全になってしまうのか<前編>

こんにちは。キャリコン社労士の村井真子です。
先日、家事や育児の夫婦の分担について、このツイートをきっかけに沢山の女性たちの「なぜ!?」が噴出していました。

記事内のツイートを引用します。

38.7度の熱が出て仕事早退して今死んでるんだけど夫に電話したら「俺のご飯は大丈夫だからね!」と言われたので「そんな心配はしてないよ、かける言葉は『まみちゃんと娘ちゃんのご飯大丈夫?俺が迎え行くよ』が正解でしょうが。」と言ったら速攻仕事上がってくれました。言わなきゃ伝わらないもんだ

断言します。人間は要望を言わなければ伝えられませんし、言われないことは受け取られない可能性が高いです。だから妻は、なんども配偶者に伝える努力をしなければならない。伝えられた配偶者も、真摯にそれを受け止める努力をしなければ、このすれ違いはなくなりません。
それがなぜなのかを、ちょっとご説明したいと思います。

1.すでに育ち切っている男性たちは、今のジェンダー教育を受けていない

現在、日本におけるジェンダー教育は過渡期にさしかかったところ。
『ジェンダー・ギャップ指数2020』において、日本の総合順位は149か国中121位とかなり低い位置ですが、実は政府は「男女共同参画」プランの策定など90年代後半からその解消に取り組んできました。
その先人たちが地道に啓もう活動をしてくださったことで、今ようやく私たちはジェンダー教育のスタート地点に立てているというところだと思います。
(ジェンダー教育という言葉自体も大きくてトピックも細分化しているのですが、本稿ではざっくり「固定的性役割の解放を意識した言動をする大人によるその価値観の継承・啓蒙教育」という意味で使っていきます。)

しかし、ということは。
2020年現在、すでに30代以降の世代は、このようなジェンダー教育を受ける機会がなかった世代です。ということは、そもそも「何が固定的性役割」なのかもわからない状態で、今私たち女性の前に立っている人も少なくないということです。

例えば、83年生まれの私の配偶者や弟は、「男子厨房に入らず」という母親の方針で育てられています。私の母も義母も、いわゆる良妻賢母型の母親であり教育方針を持っていた、あるいは持たされていた世代でした。高度経済成長期は長時間労働で男性優位の働き方が推奨されたため、そういった女性を時代が求めてきたのです。
この時代、より多い給与を得るために効率化された夫婦というのは、プレイヤーたる夫と、そのバックオフィスリソースとして最適化された妻という組み合わせです。
夫の健康管理・後継者育成が妻の仕事。跡取りを産み育て家庭内バックオフィスリソースとしての役割を破綻なく果たすことが「よき妻」の条件であるという環境下では、よりそこへ効率よく順応するために、男子であった配偶者や弟は「跡取り」「長男」として母親に傅かれて育つことになります。むしろ鷹揚に傅かれる態度こそが、その教育の成果かもしれません。

例えば食事。私の夫や弟は、食卓にご飯が並んで初めて声を掛けられるような育ち方をしてきました。その調理や配膳のプロセスをみることはありません。湯気の立つ料理をスマートにきれいに食べて食卓を立つことが、彼らのマナーです。
(翻って言えば、このプロセスを見せないことも、母親たちの嗜みだったということです。)
このことこそが、良妻賢母型母親に育てられた男の子たちの最大の問題なのです。このマナーを捨てきれない。家庭内バックオフィス業務に携わったことがないから、一度や二度教えられた程度では全く対応ができない。

しかし、彼らも今のジェンダーフリーな潮流に触れ、「あっ、今おれの状況は結構やばいのでは?」と気が付いたりする。
マッチアラーム社(現フューチャー社)の2014年の調査では、共働きを希望する独身男女の割合がどの世代でも7割を超えるなど、ダブルインカムは常識となりました。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000042.000005816.html

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ということは、少なからず自分も家事育児などバックオフィスを担当する必要がある、ということに薄々感づいているわけです。
だけど、やり方が全く分からないのです。

実はこれは、母子・父子家庭などであれば起こらない話です。なぜかというと、このような環境では子どももリソースとしての機能を担わざるを得ないからです。労働対価として賃金を得るには大人のほうが効率がいいから、母親や父親が働いているのと同様に子がバックオフィスとして働くことになります。
ですから、こういう家庭環境で育った男の子たちはプロセスに敏感ですし、家庭内に存在する様々なタスクに対処する能力も高いのです。
(追記。 子だくさん家庭でも、同様のことが起こっているそうです。要するにプレイヤーたる父を支える母のバックオフィスリソースが子どもが多いことでフリーズしがちなため、年長の子どもたちがそのタスクを一部担う形で参画しているわけですね。納得。)

2.男性にとって、家事は想像の範囲を超えている

このようにして生産された「やらなきゃいけないことはわかる。でもやり方が分からない」男性たちに、妻や彼女となる女性たちから不満の声が上がります。(もっとも、この意識すらない男性も残念ながら見受けられます。論外と申せましょう。)
彼女たち曰く、「なんで気が付いてくれないの?」「なんで教えたのに覚えられないの?」「どうして教えた方法で出来ないの?」。
私自身、引用したツイートのように体調の悪いときに配偶者が「僕のご飯はいらないよ」発言をされたことでブチ切れた過去も多々あります。

この原因は、「やったことがない」「想像の範囲を超えている」ことにつきます。
前述したように、彼らは料理が食卓に並ぶまでのプロセスの一切に触れてきませんでした。進学や就職で一人暮らしの経験はあるけれど、「単身ではない状態」で「複数人の生活の世話をする」経験はない男性のほうが多いでしょう。
翻って女性たちは、単に「女性である」というだけで、そのプロセスの一切を高い精度でマネジメントすることを求められてきました。
料理=作ってならべる、というタスクだと思っている男性は多いと思いますが、実際は
・献立を考える
・食材を選び、購入する
・それぞれを最適な保存場所に収納・分配する
・調理手順を考える
・実際に調理する
・配膳する         までが料理です。さらに食後は食器の下膳、洗浄、食卓の片付け、生ごみの処理までを一連の動作として行います。小さい子供のいる家庭では、ここにさらに子どもの食事の補助や食べこぼしたものの清掃が含まれます。
これだけのことを、「見てたら分かるでしょう」はさすがに無理だと思うのです。だって、女性たちはそれこそ十何年以上見て、やっていることですが、彼らは「見る」経験もここ数年で得た体験なのです。見えないものは存在しない。まずは、「見る」ことに意識を向けさせるよう、女性たちは彼らの意識を教えることによって変えていかなければなりません。

私も最初は見たらわかると思っていました。結婚して毎日、絶え間なく家事で動き続けている妻を見ているのだから、そのうち気が付いて動いてくれるだろう。私の配偶者はとてもやさしい性格ですから、私のことをいたわってくれるだろう。でも、ダメでした。配偶者は「疲れている母」を見たことがなかったようです。だって、母親たる女性が疲れてしまってもバックオフィスが機能不全になることは許されない事態でしたから、見せないことそのものが、母親世代がマナーとして身に着けていた能力なのですから。
だから、そもそも妻である私が疲れていること自体に気が付かない。
「疲れたよ」というと、労いの言葉とともに花束とかくれちゃう。いやいやそうじゃないって!!と何度繰り返したことでしょう。花束なんか貰っても、疲れているときは生けるための手をかける時間がないのです。さらに言うなら、そんな自分の余裕のなさにがっかりし、傷つき、悲しくなることもありました。
繰り返しますが、彼はとても優しい人です。だから花をくれるんです。でも、私が欲しいのは花ではなく、どうせ買い物で労ってくれるんだったら総菜パックでも買ってきてくれた方がよっぽどうれしい、ということが分からない、想像できないのです。知らないから。

これに対処するには、ひたすら、繰り返し「私はこうしてほしい」を教えることしかないのだと思います。こうやってくれたらうれしい、こういう風にやってほしい。あるいは、一緒にやってみる。女性である自分が身に着けて呼吸するように出来る作業を、一から、それこそ語学学習みたいに手取り足とり教えていくことです。
片言で話せるようになったら褒めるように、少しでも家事ができたら、クオリティはともかく褒めてあげる。やる気を維持させる。
コーチングする、マネジメントする、というような能力が妻の側にも求められますが、ともあれこのように一つずつ「見える」ようにして視野を広げ、「出来る」に移行していくようにしていくことが男性の家事育児参画に必要なのではないかと思います。

ながくなったので続きはこちらから。



最後までお読みいただきお読みいただきありがとうございました。


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