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いじめられるという地獄は今ふり返ってもゾッとする。

僕は、幼稚園の2年間と小学1~4年生のあいだ、いじめに遭っていました。

原因は明白でした。僕の顔に傷があったからです。3歳の時に転落事故を起こし、鼻の下に目立つ痕が残ったのです。それが、傍から見ると「鼻の下に何かをたらしている」ように見えた。それで、いじめられました。汚い、鼻水、近寄るな、菌がうつる、等々。

僕が受けたもののほとんどは、そのような言葉の暴力と、物理的な暴力でした。殴られる、蹴られる、追い回される、時にランドセルを振り回され、中身を散乱させられる、とか。割とやんちゃ者が多い学区だったので、陰湿とは少し違う、はっきりとした攻撃を受けました。

トータル6年間、心底つらかったです。

子どもにとって、幼稚園も小学校も、世界のすべてです。そこから逃げることなど、まず想像できない。想像が及ばないのではなく、想像できない。その"すべて"である世界でいじめに遭ったら、どうしようもありません。人生最大の苦のひとつです。

僕は、親に相談しました。教員にも相談しました。それで一度、小学1年生の終わりごろに、ホームルームみたいな会を開いてもらい、そこで、直接殴ったり蹴ったりしてきた子らに謝ってもらうという機会をもちました。

その場で名指しされたいじめっ子たちが、前に並んで「ごめんなさい」。でも、名指された瞬間の彼らの顔が印象的でした。みな

「えっ。オレいじめてねぇよ」

という顔をするのです。いじめを隠そうという意図があっての顔ではなく、心から「いじめている」という自覚のない表情をしていました。もちろん、バツの悪そうな顔をする子もいましたが、それは少数です。彼らの不服そうな顔を見て、悲しくなったことを覚えています。

だからでしょう。

それ以降も、恨みが重なった暴力が続きました。いじめが途絶えたのは、僕が別の小学校に移ってからです。

転校。でも、放っておけばまたいじめられるかもしれない。そう思った僕は、新しい学校で“キャラ変”に挑みました。それまでは大人しく、根暗なイメージをもたれがちだった自身を「明るいオモロイやつ」に変えたのです。

見本にしたのは志村けんさんでした。

それがうまくいったからか、小学5、6年生以降、いじめられることはなくなりました。

でも、いじめられた記憶は残っています。

いじめが苛烈だった当時、アリジゴクを探したのを覚えています。テレビや図鑑でしか見たことがなかったアリジゴクをなまで見たいと、草原や小川が多かった地元で探し歩きました。なぜ、見たいと思ったのか。その時は理由がわかりませんでした。でも、とにかく見たかった。

で、やっと見つけることができた。

アリを襲う瞬間ではありませんでしたが、ハッキリとした巣があったのです。それをじっと見つめました。獲物はやってきません。ですが、すり鉢状の巣をただただ眺めました。そして、テレビで見たような、もがきながらも逃げられずに吸い込まれていくアリを想像しました。その瞬間、ハッと気づきました。

僕は、似た境遇にいる生き物に出会いたかったのだと。

アリジゴクの巣に落ちるアリは、僕と同じだと。

いじめはなかなか他の人に理解してもらえるものではありません。少なくとも当時の僕はそう感じていた。それで、寂しくて、寂しくて、僕は共感できる仲間を求めて、探し歩いていたのです。それがアリジゴクに落ちるアリで、そのアリに想像をめぐらせて、「あ、仲間だ」と思えた瞬間、僕は、“誰か”でもない、そもそも“人ではない仲間”に助けを求めることすらしてしまっている自分に気づいたのでした。

その時の、手足がしびれるような感覚は死ぬまで忘れないでしょう。

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