[質問箱]今までで一番苦しかったことは何ですか?
苦しみって多彩だなと、僕自身は感じています。
絶望と辛苦には異なる色合いがあって、それは時に微妙です。でも、解像度高くそれらを見極められるようになるには、過去の苦しみが僕には必要だった。そう思います。
「一番苦しかった」と言われて真っ先に思いつくのは、「誰からも必要とされていない感じがして絶望した時」です。
具体的には不安神経症、うつ、パニック障害を患い、精神隔離病棟に入院した時でした。自分でいうのもナンですが、鳴り物入りで社会人になり、でも紆余曲折があって鬱になった。すると、潮が引くようにサーっと、僕への期待が雲散霧消し、数年にわたる引きこもりやリハビリの間に同期から取り残されてしまったのです。うつ症状も手伝ってか、僕は自らを「何にも資さない穀潰し」と確信していました。何と接しても無味乾燥で、生きていること自体が苦でしかありませんでした。この時は、親友たちが支えでしたね。自殺未遂をする僕にプレイステーションを買って「このゲームを全部クリアするまでとりあえず死ぬな」と言ってくれたりした。感謝しています。
次に思いつくのは、一つは幼いころのイジメ。これは別稿に書きました。
もう一つは、自分を押し殺して生きていた時代です。人生を懸けていたある運動に多く見られた組織的不誠実や嘘、欺瞞、不作為、それに気づいても、「黙って組織を支えるべき」という同調圧力に従わざるをえない。僕は、そういうことに適性がなかったのです。なのに長らく耐えていた。これはつらかったです。
前者(イジメ)については「環境を変えたこと」、後者については「距離を置いたこと」、そして、人生の中でずっとつきまとっていた「自信のなさ」とは、「長い年月をかけて毎日毎日、自身の歩みの手応えを丁寧に確かめ続けたこと」で、適切な関係が築けた気がします(こちらも別稿で書きました)。
ただ、一言最後に言わせてください。僕は、これらの多くについて「乗り越えた」という感じは抱いていません。とことん向き合った上で「離れた」といった感じが実感に近いです。乗り越えだけが苦難に対する適切な態度とは言えないと僕は思っています。なので、それぞれとうまーくつき合っています(その、つもり、ですが……まわりの人はどう感じてるのかな)。
苦境に対し「乗り越えよう!」というスタイル一辺倒では息が詰まることもあるでしょう。もし何かありましたら、遠慮なく僕の質問箱に投函してください。
ご閲読ありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?