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「働く」ことはなぜつらい? ギフトは仕事にどう関わる?|『GIFTに生きる』

本連載の主題「GIFTに生きる」は「見返りを気にせず誰かや社会のためになることをやり続けていくこと」を意味する。人から人へ、良いコト・モノをギフトする行為は、めぐりめぐって自身にも返ってくる。この連環が社会をより豊かにすることを、実践家・石丸弘と、「退職学™️」研究家・佐野創太と共に学んでいく本鼎談(ていだん)、今回は「働く」とギフトの関わりについて語り合う(過去記事リンク → 第1回第2回

なぜ働くのはつらく、疲れるのか

正木 働くというと「つらい」というイメージを持つ人もいます。佐野さんは「働く」についてどう考えていますか。

佐野 皆もそうだと思いますが、僕には、したい仕事としたくない仕事があります。どうすればしたい仕事がよりできるようになるかということを、転職・退職のたびに考えてきました。業務の棚卸しをして、各業務をWHY、HOW、WHATで問うてきました。なぜその仕事をするのか。どのようにその仕事を行うのか。そもそも仕事とは何か――。すると、頭が整理され、今まで気づかなかった「本当はしたいけれど、気持ちにフタをして『やらない』『できない』と決めつけてきたこと」もわかってきた。この繰り返しで「働く」の意味を探ってきました。

正木 確かに「したい仕事」ができるっていいですよね。なかなかそうはいかないわけですが……。最初に蘊蓄(うんちく)話をさせてください。経済学者アルフレッド・マーシャルは、労働を次のように定義しています。すなわち、わいてくる「喜び」とは「別の財」のために行う努力が労働である(要旨)と。

佐野 別の財、たとえば給料のために行う努力などですね。

正木 また、哲学者アーレントは――マーシャルの議論と紐づけるのは強引ですが――人間の営みを「活動」「仕事」「労働」に分けました。「労働」は、生きるのに必要なものを生み出す行動、要は生存のための営みです。「仕事」「活動」はそれ以外の、人間の尊厳やより良き人間関係を守るために行われる営みを指します(芸術作品などの人工物を作ったりもする)。

佐野 いのちを維持するために働くのが「労働」で、それ以外が「仕事」「活動」に位置づけられる。

正木 そのとおりです。アーレントが言う「労働」とマーシャルが言う「労働」には重なる部分があります。「対価」や「獲得物」を前提としている点です。生きるための糧もその一つです。対価があることは「働く」の重要な要素なんです。ここは、議論を散漫にさせないために補助線を引かせてください。ただし、金銭的な対価がなくても営まれる労働はたくさんあります(奴隷労働とか)。対価を気にせず楽しみながら行われる労働もある。ですので上記の定義は万能とは言えません。その上で繰り返しますが、アーレントの言う「労働」は、もっぱら「生きるため」「食うため」という目的で行われます。

佐野 それだけが目的になると「働く」が苦になります。人は、自分の可能性を広げたり、能力を活かしたり、社会の役に立つコト・モノのために行動することに喜びを感じますから。

目的をどこに置くかで、「働く」は変わってくる

佐野 今の議論で改めて思ったのですが、働く目的って大事ですよね。

正木 イソップ寓話の「レンガを積む3人の男」の話は、働く目的の重要性を教えてくれますね。

建築現場で働いている男たちがいた。「何をしているのか」と聞くと、男たちはこう答えた。

1人目 「レンガを積んでいるんだ」
2人目 「金を稼いでいるんだ」
3人目 「後世に残る町の大聖堂を造っているんだ」

その数年後、彼らはどうなったか。再び話を聞いてみると

1人目 「早く仕事、終わらないかな」と変わらずレンガを積んでいた。
2人目 「こっちの方が日銭がいいから」と石切りをしていた。
3人目 「町人が困らないように」と水道計画を練っていた。

1人目、2人目の男は、アーレントのいう「労働」に近い目的で働いています。生存のためです。しかし、3人目の男は「大聖堂の建築」といった「町の人たちのため」を目的にしています。アーレントの議論でいえば、目的観が「労働」ではなく「仕事」「活動」の領域に置かれている。「働く」を最も充実させているのは、もちろん3人目の男です。

佐野 多くのミッション・ビジョン・バリューが示すような、生存と違う「目的」が大切ですね。仕事柄、僕は退職相談によく乗りますが、ある人事担当者の話が印象的でした。彼の会社はかなり疲弊していました。で、働き方改革を進め、業務効率化を実現した。そうしたら「本来、必要がなかった仕事」が社内からどんどん出てきたんです。しかもコア業務だと思われてきた仕事が、実はコアでなかったこともわかった。その時その人は「何のために働くのか」と問い返し、「本来的な業務」がしたくなったと言います。彼は「次に転職する際は目的や理念で会社を選びます」といって退職しました。

正木 「より高次の」目的というとアレですが、しっかりした目的観に立脚したいと思ったのですね。

佐野 マーケターで似たことを語っていた人もいます。マーケティングで日々数字を追いかけているけれど、数字の向こう側にいる「人間の顔」が見えないから、お客さんが何に喜んでいるのか、本当に喜んでいるのかがわからないと言うんです。だからやりがいが感じられない。こうすれば売れる、的なセオリーはわかっているんです。でも「働く」は単純に数字をいじるだけのゲームではない。喜びがともなってこないのです。

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自分の生活の中から「あたりまえ」の考えを減らす

石丸 仕事に「あたりまえ」が増えると働きがいって減りますよね。前回も話しましたが、コンビニで売っているポテトのお菓子やオニギリを僕らは買うわけですが、オニギリ一つとっても「商品ができてコンビニに陳列されるまで」には多くの人の関わりがあります。それを「あたりまえ」と思ってしまったら、コンビニでの商取引は、ただレジを通過させてオニギリの持ち主となる権利を買い物客に移すだけ、という味気ないものになる。レジのスタッフもお客さんが喜んでいるのかがわからない。これって認知の問題だと僕は思っています。

正木 認知、つまり、オニギリがお店に並ぶまでの過程に思いを馳せて認識していく想像力の問題でもありますね。

石丸 コンビニで物を買う瞬間もそうですが、たとえば工場でベルトコンベアー式にオニギリを作っている人にも同じことが言えます。「俺が日々機械を回して作っているオニギリを、腹をすかせている誰かが食べて『うめぇ』って喜んでくれてるんだ」と思えたら、やりがいって出てくると思う。

正木 今、かなり多くの働き手が「巨大な組織の一歯車」感を抱いています。働きがいを見つけるのは至難です。でも、自分の歯車がどんなモノ・コトとかみ合っていて、歯車の回転がどんな作用を生んでいるのかに想像が及べば、認識は違ってきます。「こんなことに貢献していたんだ!」という気づきは、労働者にとって実りある発見です。そうした発見は、実は日常的に「あたりまえ」と思っていることの中にある。

石丸 きのう僕、友だちと卓球をしました。それは僕にとっては「働く」なんです。卓球をすると、僕がまず楽しい。で、相手も楽しい。しかもFacebookに投稿したら、「わぁ楽しそう!」ってコメントも来た。閲覧した人も喜んでいる(と思う)んです。さっき、対価があることが労働の要素だという話がありましたが、仮に対価を設定するなら、僕にとっては「皆の喜び」が対価です。というと偽善っぽいかもですけど、それらは皆から僕へのギフトでもあります。ギフトのし合いが、卓球をめぐって成立している。これって、マーシャルやアーレント? らの定義から言っても立派な「働く」になります。対価は別に金銭だけじゃない。ギフトだって対価です。実際にギフトが金銭的対価につながることもありますが(僕自身は、対価があるかどうかは気にしていませんが)そうでなくてもギフトは「働く」の枠内に入ってきます。

「プロセスエコノミー」に着目せよ

石丸 かつてコンサルをしていたときのお客さんに、売上50億円くらいで、予算の4割を広告につぎこんでいた企業さんがいました。20億円つぎこんで「いくら儲かった」みたいな話は社内的に良ければそれでいいんですけど、その20億円って、一方では広告会社、代理店、制作会社とかにもめぐっていきますよね。彼らの対価にもなる。20憶円が彼らの仕事を作って報酬にさえなっていると考えたら、「これってギフトじゃん」って思ったんです。予算を割(さ)いて使うことだってギフトになる。そう想像していくと、働いている実感もみずみずしく豊かになるんじゃないかと思います。

佐野 そういう感覚を磨いていきたいですね。「働きがい」の創出にもつながりますし。僕は、そんな「報酬感(=ギフトしてもらった感)」を感受する感性を豊かにする方法に2つあると思っています。一つは「プロセスエコノミー」に注目すること。アウトプットや作品、成果物が価値なのではなく(それも価値といえますが)、「成果物ができるまでの過程・工程こそが本当の価値なんだ」という考えがプロセスエコノミーです。先のオニギリの例に顕著ですが、石丸さんはプロセスに価値を見いだしています。それが、労働の現場で個人レベルにまで落とし込まれていけば、働きがいも出てきます。

正木 プロセスエコノミーを話題化した尾原和啓さんは近著で、プロセスを支える目的、たとえば「人のために」といったものを「人間の欲望だ」と位置づけています。先ほど石丸さんは自らの対価の意味、「皆の喜び=ギフト」について「偽善っぽいかもですけど」とおっしゃいましたが、ギフトは欲望に根ざした、いわば偽善ならぬ"真善"なんです。「人のため」や「ギフト」は欲望として堂々と語っていい。そういう時代になってきている。尾原さんからはそんなメッセージを僕は受け取りました。

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佐野 確かに、人はギフトを欲望しますね。ちなみに、報酬感を豊かにする方法の二つ目は、過去と未来の時間軸に目配せすることです。石丸さんは、「自分のしたことが未来にどんな影響を及ぼし、どんなギフトにつながるか」という感覚と「過去にした『あのこと』が今のギフトにつながっている」という感覚を持ち合わせています。現在だけでなく、過去・未来にも報酬感を抱くフックを持っているから石丸さんはたくさんのギフトを日常から見いだせるんです。

何でもギフトと捉える人 → 超・お人好しな人?

正木 ただ、何でもかんでもすべてを「ギフトだ!」というふうに楽天的に受け止めていいのかという問題はありますね。

石丸 あります。衣料品メーカーに勤めている友人がいますが、彼は素敵な衣服を作りつつ、誰に着られることもなく大量に服が捨てられていることに心を痛めています。環境負荷をかけている、と。それを手放しに「ギフトだ」と言ってしまえば話は雑です。大切なのは、視野を広げることでしょう。ある視点ではギフトだと思えたことが別の視点で見ると、搾取している、何かを壊している、なんてことは往々にしてあります。そうすると「俺の仕事って何だろ……」ってギフト性が見えなくなっていく。

佐野 自分が生み出しているプラスをはるかに上回るマイナスを企業が生み出しているとわかったときに「退職する」決断をする人を、僕も何人も見てきました。

石丸 働きがいといっても、あくまで自分が見ている視野内での「働きがい」ですから。

正木 「ギフトだ」という受け止めを全肯定して、現実を批判をする芽を摘んではいけません。たとえば、力量があるように見せかけてコンサルして、過剰に高いお金を貰っている人っていますよね。その場合に、コンサルを受けた人が「ギフトしてもらった!」と考えて、搾取されていることにいつまでも気づかないという事態はいけません。ギフト性を見いだしていくことには豊かさもあるけれど、無防備な「お人好し」になってはいけない。騙されるのもまずい。

石丸 盲目的にならないことですよね。ちゃんと観察して、今の自分の見える範囲でギフトかどうかを見極めていく。「これはあくまで今の自分の視野で見ての考えです」っていう保留を常に念頭に置いてギフトを考える謙虚さが必要です。企業事例をあげると、パタゴニアさんはしっかりしている会社さんだなって思っています。彼らは服を作ること自体が環境負荷をかけることをよく知っているので、「不必要な服を作らないこと」に注意を払っています。できる限り「実際に長く着てもらえる服」を作っています。環境にやさしい最適な職場環境を用意し、リサイクル、リユースも徹底している。持続可能性(サスティナビリティ)をサプライチェーンにも求めています。

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製造工場が「安くて丈夫なものを作ります。環境にも良いです」と言うと、「それであなたの工場の社員はちゃんと給料を貰えるの? 子どもたちを学校に行かせられるの?」って聞くんです。働く環境と生活が持続可能なら契約しますって会社がパタゴニアです。広い視野で自分たちのギフトを考えています。

仲間に恵まれることにやりがいの種が

佐野 どんなサプライチェーンと関係を築くか、は疎かにしてはならない点です。『夜と霧』で有名なフランクルが、生きる意味で人生を満たすために大事な要素として、①自然、②芸術、③愛をあげていたのを思い出しました。③は、要は「愛される体験」です。愛に恵まれることで、人は生きがいを感じます。パタゴニアさんは、ある意味で「愛し、愛される」関係が持続可能かどうかを判断軸に、誰と仕事するかを選んでいます。その際に物差しとなるのが、「不必要な服は作らない」というミッション・ビジョンだったりする。愛し合える仲間やサプライチェーンとともに働ける環境を築くことに注力していけば、働きがいも生まれてくるでしょう。

正木 ミッション・ビジョン・バリューを自分たちがちゃんと体現することの重要性も改めて感じます。「ミッションなんてただのお題目」というような会社からは「やりがい」はなかなか生まれない。また、どんな人と働くかというテーマは、身近なところで言っても大切です。同僚に恵まれることがまさにそうで。

石丸 LOVEの意味でもLIKEの意味でも、好きな人が職場にいるだけで、やる気って変わってきますからね。僕も、つい頑張っちゃう。で、頑張ったら会社に利益も還元できる。ギフトの好循環です。

佐野 言い方がアレですが、"バカみたいな話"ができるような仲間が職場にいるだけでも、仕事から受けるストレスが減るんです。退職の場面でいうと、「この人と働きたくない」って相談がめちゃくちゃ多いんですね。誰と働くかってやっぱり「働きがい」の外せないポイントだなと日々感じます。好きな人と働けるってことがどれだけやりがいに直結するか。

正木 これまで話してきて面白いと思ったのは、ギフトが「働きがい」を生むという点です。マーシャル等の「労働」の定義に照らして、ギフトすること自体が「働く」ことにあたることを確認しましたが、反対に、そもそも「働く」ことはすべてギフト性をまとっていると言えるかもしれません。この点については稿を改めて語っていきたいです。

[プロフィール]

石丸弘 「見返りを気にせず誰かや社会のためになることをやり続けていくこと=ギフトに生きる」をコンセプトとする実践家。活動歴は10年。現在は、平和が広がる仕組み作り、画家、マーケティングコンサルタント、組織のコンサルタント、コーチング、コンサルタントコーディネーター、平和財団やNPO、"想いのある人"の支援などを行いつつ、ギフト起点で、人と人、人と情報、人とナニカを繋いでいる。
佐野創太 日本初、唯一の「退職学™️」の研究家。のべ1,000名以上の退職相談と、自身の最低と最高の退職経験をもとに「最高の会社の辞め方」を体系化した。退職を「後ろめたい手続き」から「誰も教えてくれないが誰もが経験する必修科目」と捉え、退職を退職後も声をかけられ続ける人物に成長する学びに転換している。2021年末に出版予定。1児の父、Webメディア・採用広報の編集長、ミュージシャンのインタビュアーを兼務。
正木伸城 人材ビジネス大手広報 兼 副業ライター。うつ病・パニック障害などを罹患し精神病棟に入院するも、13年間の闘病の末、帰還。約4年間で3度の転職を重ね、現職。15,000冊超の読書歴を持ち、ジャンル越境的な記事が書けるため、出版社から「知の越境家」と呼ばれる。人生のテーマは「社会で弱くさせられている人の声なき声を聴診器のように聞いて、みずから拡声器となってその声を社会に届ける」こと。

[参考文献]


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