私達は「有限」の中で生きている

こんにちは。アクセスありがとうございます。

「私たちにとって豊かとは何か?」と考えているときに

「豊か=お金」であると結論づけた場合、豊かには際限があるように感じました。

私達は「有限」の中で生きている

私達は、生きるために「お金」が必要である。これは事実であり覆ることはない。Amazonの創設者ジェフ・ベゾスは世界で1番裕福であり、総資産は1130億ドル(13兆円超)となっています。

私たちにとっては、お金持ちは無限にお金を創出でき、どんどん資産を肥やせると感じるでしょう。

でも、私は違うと感じました。

資源は有限個であり、顧客も有限、どんだけ顧客を増やしても提供するモノは資源がある限りであるし、顧客も世界人口約70億人を超えることはできない。つまり、全てのサービス業・物販は有限の稼ぎしか得ることができない。(莫大な稼ぎかもしれないが)

YouTubeでもどんだけ登録者数がいても、その全員が再生しても数回見ればその動画は再生されなくなる。これは飽きが生じるためである。たとえ登録外の人が見ても世界人口には限りがある。つまり有限回の再生しかされない。

お金もそうである。中央銀行が無限に創出すれば価値が下がるし、ハイパーインフレーションが生じ国家破綻に繋がる。

私達は、有限の世界で生きているのではないであろうか?

私達は、例えば50億円持っていると無限に暮らせると感じるとか、砂場の砂の数のように、私達は、「数の暴力が無限である」と感じているのである。

しかし、無限には生きることはできないし、どんだけお金を持っていても、例えば宇宙旅行に何度も行くとお金は尽きる。

それでは、「無限」とは何だろうか?

無限にあるものを考えてみました。

この世のモノでは、全然思いつかない。パッと出たのは「風」であるが

「風は数えることはできるのか?」「無風の時もある。」この点で無限ではないのかもしれない。

無限に存在するのは数字だけかもしれない。数字だけが無限の可能性を秘めており、実在する物質は全て有限である。

「豊かさ=お金」と考える時私達は有限の世界に閉じ込められる。

「『豊かな心』を持て」とは?

この私の考えでいくと「豊かな心」とは、有限にあるものである。

「豊かな心」とは、他人を思いやること、生命を尊重すること、自然や美しいものに感動すること、正義感や公正さを重んじることなどと文部科学省に明確に記載されています。

「豊かな心」とは、簡単にいうと良識を持った考えを持った心である。

「良識」の行為・考えは、無限個存在するわけではない。つまり「豊かな心」とは、「有限個ある良識の行為・考えの集合体」であると定義できる。

「豊かさ」のまとめ

私たちは、地球上にいる限り、無限の豊かさを得ることはできず、有限の「豊かさ」を享受している。たとえ、どんだけお金を持っていても限りは存在するし、豊かな心とは何か?と問われても無限には答えられない。ここで言えることは、『「無限」の豊かさ』は存在せず、『「有限」の豊かさ』を享受して生活をしている。つまり、私たちは、「有限」の中に閉ざされているのではないか。



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