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迷いや苦痛を捨てずに歩くこと

だらだらとした文章を書くことは孤独を紛らわすことと、自分の核心を記述せねばという生存的な焦りだと思う。自らを発光させなければ発見されないで消えてしまうのではないか?という恐怖と寂しさ、そして日々を丁寧に見ることができる視点を持てるがゆえである…と毎週文章を書いていた半年前の文を読むと思う。その頃と比べると明らかに環境も自分の状態も変わることができたと思う。

大学をかろうじて卒業できたわけだけど、大学の「なか」にいる時は幸せな苦悩と焦燥感の中にいたのだったと改めて認識する。自分の可能性を探し続ける健全なわがままを続けられる場所だった。学ぶ場所であるからこそ、規則やルールの中で闘わなければいけないし、その規則や大学に集まる色々な人々や不思議な制度の中でと自分を相対化させながら、自分に力を溜めていく、助走をつけていく良い時間だった。

19歳の時に退学をしかけていた自分にとって、ゆっくりとでも学びなおすことはとても重要な時間だったのだと振り返ると思う。遠回りと言われたらそうかもしれないが、だからこそ今の自分がいるし今の感性や社会への姿勢がある。(あの時の青臭さと勢いのまま、退学して突っ走っていたらどうなってたことやら…)

在籍していたときは、やはり大学教育に対してや教員や仕組みに対しての倫理的、制度的な腐敗さに対して一方的に憤りを持っていた。が、今ではほとんどがない。おかしいなとは思いつつも、一方的なベクトルを持ちながらぶつけるだけでは状態は改善しないことを大学を外から見たり、教員や大学機関の方々と連携するなかで理解したからだと思う。不自由の中で自由を求める人ほど、耐えるときは耐えるべきなのかもしれない。

批評的実践は多面的な理解と地力ありきであり、与えられた場所で都度、自分なりの思考と表現と挑戦を重ねることでいずれ可能になる。と19歳の自分に教えてあげたいものであるが、自分の信じる可能性や意味を社会にぶつけることで、跳ね返され、怒られ、挫折し、期待に応えようと努力することで
自分がやるべきことは徐々にわかるのでその経験も十分必要だった。

誤った道に突っ込んでしまったのではないか?という不安は常に隣り合わせだった。色々な大人や友人から笑われたり、心配されたり、見放されたりには徐々に慣れてしまったけれど、その声は正しかったと思うし優しさだった。

だから、このまま社会的にも死んでしまうのではないかという怖さを消すために、そうではないと言える人になるために、そして生存するために働いた。論文も書いたし手に馴染まないような制作もした雑務も沢山した。毎日フラフラしながらも、それでも「建築やデザインがきっと社会を変えるんだ」という、何か大事なものはこぼれ落とさずにやってこれたのだと思う。さっと見放してしまうような小さな違和感や悩み、迷いを簡単に捨てることなくここまで丁寧に拾いながら歩いてきた、なんらかの結果や痕迹が今なのかもしれないなと思う。

何回迷ったっていいさ血の跡を辿り戻ればいいさ
目標なんか無くていいさ気付けば後から付いてくる
可能性という名の道が幾つも伸びてるせいで
散々迷いながらどこへでも行けるんだ
大事なモンは幾つもあった
なんか随分減っちゃったけど
ひとつだけひとつだけその腕でギュッと抱えて離すな

というわけで苦痛や孤独を終えて、これからどんな冒険をしていこうかと考えられるようになった。今は文章を書かずとも話を聞いてくれるような上司や友人がいたり、自らを無理やりに発光させずとも見出してくれるような場所や機会がある(自分がこんな苦しみを減らせるようにと思い、無意識に作ってしまっているのだけど)

もう自分の今までの悩みや迷いとはおさらばしたいし、もうそうすることができると思う。書くことも、動くことも、モノを作る意味や目的は、これまでのように「自分のため」だけではなくなってくる。目的を実現する力がなくて辛かったが、鍛錬してきたからかようやくだけど薄くなってきている。これからは自分の孤独や寂しさ、実存を紛らわすためでない方向へ動いていきたいし、考えること作ることはやめないでいたい。

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