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誰もみな傷つき傷つけ、それでも強かに生きていく

こどもの頃からの両親の不和で、
私はものすごく音と人の顔色に敏感な人間に育った。

ここ数年続いていた、
こどもの頃からの感情を味わって消化する感情解放
=大人の反抗期が収束していたこの頃だったんだけど、
2,3歳の頃の、本当に人生の最初の頃の気持ちの解放が、
今回の生理をきっかけに、花火大会のエンディングみたいに
ドドドーンと派手に起こった。

今までも両親には、
特に母には何が嫌だったか。怖かったか。という
話しはしていたんだけど、今までの反抗期でだいぶ
毒気が抜けて理性的に伝えられたらしく、
両親に思いがとても率直に届いたらしい。
すさまじく反省された。

気持ちを傷つけられることって、
暴力振るわれてるとかとはちがって見た目にわかりにくい。
だから、こんなにも傷ついてきたのに、
案外伝わってないものなんだなぁ。
これは案外嫌じゃなかったのに勘違いされてるな。とか、
嫌なことはちゃんと口で言わないとな。と、
改めて思った。

私には親を責める気はない。
被害者だと思うこともない。
感謝するところはちゃんと感謝の気持ちを持っている。
そして、謝ってもらうのもなんか違うなと思う。

怖かった思いはこれからも時々蘇るだろう。
けれど、それは丁寧に味わい尽くせばいいと思っている。

なぜなら、彼らがしょうもなかったのと同じくらい
私もしょうもなくて、しょうもない人たちが集まれば、
そりゃしょうもないことも起こるということだからだ。

誰のことも1ミリも傷つけない人はいない。
でも、傷つけられてもそれはちゃんと癒せる。
誰よりも自分を大切に扱えばいつか必ず。
そこで終わりなんてことはない。

しっかり感情を味わって、事実を整理したら、
しょうもない人たちが昨日より今日、
生きやすい世界をつくって行くためにできることを
探していくこと。それが体験を活かす。
命を活かす。ということなのだと思う。

この経験を経て、もし私にできることがあるとしたら、
その人の魂を丸ごと受け止めるような傾聴なのだと思う。

誰もみな傷つき傷つけ、それでも強かに生きていく。
その姿を受け取り、文章に具現化すること。
そして、それぞれの魂の美しさと
生きることの豊かさをこの世に遺すこと。

とてつもなく濃い修行期間のおわりに、
しょうもなくも美しい大輪の花火があがったかのような、
とても濃い数日間だった。


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