マガジンのカバー画像

小野寺工業のチャレンジ

32
小野寺工業は、大型工作機の国内最大手である近畿工作機を主要取引先とする加工制御装置メーカーです。小野寺工業と近畿工作機には資本関係こそありませんでしたが、かつては事実上の系列会社… もっと読む
運営しているクリエイター

#日本企業クライシス

環境の変化に対応できるものだけが生き残る

小野寺工業は大型工作機の国内最大手である近畿工作機を主な取引先としていた。 大型工作機の…

masaki_ura
5年前
7

Good enough(今のままで十分だ)の時代がやってきた

近畿工作機をはじめ国内の大型工作機メーカーは当初、海外からやってきたこれらの汎用工作機メ…

masaki_ura
5年前
4

系列崩壊時代に日本企業はどう動くべきか

近畿工作機は生き残りを賭け、系列会社の切り捨てに手を付けた。 これまでのように無条件に系…

masaki_ura
5年前
3

事業運営のスタイルをPull型からPush型に切り替え、攻めに転じる

大島は、こんなこともあろうかと予備予算を確保していた。浦田は、この予算でOBFの支援を引き…

masaki_ura
5年前
2

組織変更は手段のひとつでしかない!「まずは組織変更」は日本企業の悪い癖だ

笠間の組織構想を練り始めた。それは、海外事業推進部を社長直下に立ち上げ、各事業部内に海外…

masaki_ura
5年前
6

最初に大切なのは、状況を大きくとらえて事業のイメージを固めることだ

笠間は事業立ち上げに着手したが、それは雲をつかむような話だった。Push型、Pull型の話も内容…

masaki_ura
5年前
5

よくできたディスカッションマテリアルは、発散しがちな「I型人間」たちの議論を効果的で効率的なものに変える

小野寺工業は、ハードウェア本部、ソフトウェア本部、サービスビジネス本部という3つの本部で成り立っていた。 笠間の依頼で、各本部から2名ずつのOBF(Our bright future:小野寺工業のチャレンジを担う変革チーム)メンバーが選出されていた。浦田がコンサルタントとして関わるずっと前の話だ。彼らは本業を持ちながら、兼務でOBFに参加していた。このころから、笠間たち3名はOBFコアチーム、各本部からの6名を加えたメンバーをOBFチームと呼ぶようになった。 この活動は、体

御用聞きでは世界に通用しない! 顧客を観察し、顧客の要求を射止めたソリューション…

「どうやって海外事業を立ち上げるのか」 笠間たちコアチームのメンバーは、この難題に正面か…

masaki_ura
5年前
6

なぜ選ばれるのか? 誰に選ばれるのか? 企業にはこの問い掛けが特に大切だ

ソリューション型を目指すことは決まった。 しかし、これは「どうやって海外事業を立ち上げる…

masaki_ura
5年前
2

新しい事業を立ち上げるには既存顧客を狙っていたのではダメ! マーケットセグメンテ…

笠間たちは海外の情報を収集し、大型工作機メーカー、装置メーカー、構成機器メーカーといった…

masaki_ura
5年前
3

他社のベストプラクティスを安易に真似するだけでは、組織はバランスを失い、取り返し…

行きつ戻りつの議論の末、海外事業の事業モデルは以下の2つに絞り込まれた。 ① 東南アジア向…

masaki_ura
5年前
3

事業立ち上げには情報が欠かせないが、これがネックとなることは多い まずはクイック…

役員会では投資に対する議論が交わされた。 東南アジア向けの汎用工作機の開発、東南アジアに…

masaki_ura
5年前
1

表面的な部分にばかり目を奪われていると、せっかくの変革施策は定着せずに終わってし…

笠間たちの目の前には課題の山が広がっていた。 消極的スタートの汎用工作機事業は後回しにす…

masaki_ura
5年前
2

スポンサーシップなくして変革なし! 大組織のイナーシャは大きいが、意思決定のシナリオとスポンサーシップがあれば動き出す

海外事業の立ち上げが実行に移されようとしていたころ、笠間は変革活動に明け暮れたこれまでの半年間を振り返り、その成果を経営陣に報告した。 経営陣の支持を得られたことで、笠間たちOBFコアメンバーには落ち着いて考える時間がほんの少しだけ戻ってきた。笠間たちと浦田は2か月後に差し迫った組織改革に向け、新しい組織体制の設計に取り掛かっていた。 当初は、現在の組織をできるだけそのまま残すという方針が出ていた。変革がスタートして間がないころ、一部の経営陣が性急すぎる変化を警戒たからだっ