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小野寺工業のチャレンジ

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小野寺工業は、大型工作機の国内最大手である近畿工作機を主要取引先とする加工制御装置メーカーです。小野寺工業と近畿工作機には資本関係こそありませんでしたが、かつては事実上の系列会社… もっと読む
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#問題解決

環境の変化に対応できるものだけが生き残る

小野寺工業は大型工作機の国内最大手である近畿工作機を主な取引先としていた。 大型工作機の…

masaki_ura
5年前
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Good enough(今のままで十分だ)の時代がやってきた

近畿工作機をはじめ国内の大型工作機メーカーは当初、海外からやってきたこれらの汎用工作機メ…

masaki_ura
5年前
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系列崩壊時代に日本企業はどう動くべきか

近畿工作機は生き残りを賭け、系列会社の切り捨てに手を付けた。 これまでのように無条件に系…

masaki_ura
5年前
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事業運営のスタイルをPull型からPush型に切り替え、攻めに転じる

大島は、こんなこともあろうかと予備予算を確保していた。浦田は、この予算でOBFの支援を引き…

masaki_ura
5年前
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組織変更は手段のひとつでしかない!「まずは組織変更」は日本企業の悪い癖だ

笠間の組織構想を練り始めた。それは、海外事業推進部を社長直下に立ち上げ、各事業部内に海外…

masaki_ura
5年前
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最初に大切なのは、状況を大きくとらえて事業のイメージを固めることだ

笠間は事業立ち上げに着手したが、それは雲をつかむような話だった。Push型、Pull型の話も内容…

masaki_ura
5年前
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よくできたディスカッションマテリアルは、発散しがちな「I型人間」たちの議論を効果的で効率的なものに変える

小野寺工業は、ハードウェア本部、ソフトウェア本部、サービスビジネス本部という3つの本部で成り立っていた。 笠間の依頼で、各本部から2名ずつのOBF(Our bright future:小野寺工業のチャレンジを担う変革チーム)メンバーが選出されていた。浦田がコンサルタントとして関わるずっと前の話だ。彼らは本業を持ちながら、兼務でOBFに参加していた。このころから、笠間たち3名はOBFコアチーム、各本部からの6名を加えたメンバーをOBFチームと呼ぶようになった。 この活動は、体

御用聞きでは世界に通用しない! 顧客を観察し、顧客の要求を射止めたソリューション…

「どうやって海外事業を立ち上げるのか」 笠間たちコアチームのメンバーは、この難題に正面か…

masaki_ura
5年前
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新しい事業を立ち上げるには既存顧客を狙っていたのではダメ! マーケットセグメンテ…

笠間たちは海外の情報を収集し、大型工作機メーカー、装置メーカー、構成機器メーカーといった…

masaki_ura
5年前
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表面的な部分にばかり目を奪われていると、せっかくの変革施策は定着せずに終わってし…

笠間たちの目の前には課題の山が広がっていた。 消極的スタートの汎用工作機事業は後回しにす…

masaki_ura
5年前
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スポンサーシップなくして変革なし! 大組織のイナーシャは大きいが、意思決定のシナ…

海外事業の立ち上げが実行に移されようとしていたころ、笠間は変革活動に明け暮れたこれまでの…

masaki_ura
5年前
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目標はトップダウンで決めるものであり、それを達成するための手段は、達成の見込みが…

浦田と笠間が連れ立って飲みに行くのは、これが3度目だった。1度目は、浦田が変革活動に参加し…

masaki_ura
5年前
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煩雑さはそのままにそこに無理やり秩序を被せたところで、効率の悪さに現場は反発し、…

変革活動がスタートしてから2年が過ぎようとしていた。 すべてが順調なわけではなかったが、そ…

masaki_ura
5年前
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属人性を排除するにはガバナンスをシステムとして捉え、ガバナンスに関わる機能を総点検し、機能不全な箇所に手を打て

海外事業に属人性がはびこる最大の原因は、宿命的ともいえる事業の煩雑さにあった。煩雑さを解消するのも大変な上に、煩雑さを解消すれば問題が解決するかといえば、事態はそれほど単純ではなかった。 海外事業はガバナンスという点からも、手を打てる状況にはなかった。事業運営が現場任せになっており、組織としてうまくコントロールできる状況になかったからだ。全権を委任された現場で属人性がはびこるのは当たり前で、組織が気付かないところでさまざまな問題を巻き起こしていた。 特殊工作機の分野は特に