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ウェルカム生産性ジレンマ

新しい生活様式に入って2年あまり。これまでの暮らしかた、仕事のやり方のアップデートが必要になった。あるとき、パートナーにこの話をすると、あせることないんじゃない?と、励ましにも同情にもとれる言葉をもらう。

日に日にやりたいことができなくなっていった私は、日に日にあせりが身体からもれていたようで、日に日に気づいてる人は気づいていた感じがあって、日に日に恥ずかしい瞬間を経験した。

交友関係はいろんな形がある。古くからの友人、社会人になってからの仲間、ご近所さん、おなじ趣味の人、行きつけのマスターなど。なにをもって仲がいいかはそれぞれだけど。案外、1年に数回やりとりする距離感の人の方が本音をぶつけられる。そんな気がする。

私の場合、よく会う人、連絡をとる人だからこそ、見栄を張ってしまって本音を言えなかったりする。仕事柄、相手を優先してしまうようになっている。

たまには自分を優先させてもいいよね。「コロナ前」という言葉は好きじゃないですが、当時は自分よりだれかのことを考える時間が多かった。こんな時期だからこそ誰かをねぎらう前に自分をねぎらうことが当たり前になってもいい。

自分のやりたいことを仕事を通して「夢」として大切にすることも大切。だけどこれは外向けの感情なので、本音じゃない気がする。時には夢を無視したムダな時間を過ごしてもいいと思う。

横断歩道の白い所だけを歩いたり、後ろ向きで全力疾走したり、口でペンくわえてお絵かきしたり、意味不明なことをしたい。

「今日は自分の時間を過ごしたいから」

相手に嫌われないように、変な人に思われないように、と自分に嘘つく必要のない交流もあっていいんじゃないかと思う。やっぱり自分に正直な人の周りには正直な人が集まるでしょうし、自分よりだれかのために!という思いが強い人には自分よりだれかのために!という思いの人が集まると思う。

だれかに期待すると疲れる。でも期待しちゃう。であれば、疲れたーって大きな声にして言ってもいい。これを身につけるだけで、自分にも他者にもやさしく接することができる。この積み重ねが自分のケアにつながるからね。もちろん相手のケアにもつながる、はず。もしかしたらめぐりめぐってステキなチャンスがやってくるかもしれない。

そう信じて欲張らず気張らず「自分に自然に」を取り入れていきたい3月のある日。

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