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編集後記 "神谷航平くん"

宮藤官九郎さん脚本のドラマ「不適切にもほどがある!」が話題になってますね。

昭和の合理性と今を改めて比較してみると、実際に昭和を経験した僕であっても、今考えたらあり得ないことだらけの時代であって、ある意味、非常識的に感じる部分と、古き良きと感じる部分が入り混じります。

僕ら以上の世代の人たちが、「昔は良かった・・・」「今の時代は・・・」「最近の若者は・・・」とよく嘆きますが、勘違いしてはいけないと思うことは、ここで憂う「今の時代」は「最近の若者」が作ったわけではないということ。「最近の若者」よりずっと歳上の大人達が、最近の若者の要望や不満を慮ったり、失敗させることや、失望させること、道から外れることを危惧して積み上げたルールによってできた時代だということです。そして、その時代自体、必ずしも「最近の若者」が望んだものでもなくて、彼ら自身もたくさんの疑問を抱えているということを、神谷くんとの対談で気づきました。

神谷くんとの対談の前は、僕ら世代の合理性の違いはなんなのか?どうすれば、それを分かり合え、ギャップを埋めることができるのかと考えていましたが、対談を終えてみて思うことは、そもそも合理性に違いがあるわけではなく、同じ合理性に向かって取るプロセスが違うだけなのではないかということでした。

今の時代は、本来、人と人の信頼関係でバランスを取るべきことや、モラルの上でバランスが取れていくはずのことひとつひとつを、性悪説的な観点の上にルールで固められてしまっていて、柔軟性が失われてしまっているように思います。そして、柔軟性が失われたことで、ちょっとした拍子に人と人の関係性が脆く壊れていってしまうようになったとも思います。僕らはそういう時代でも、最近の若い子達が生きていくために必要なことと思って我慢していたりもするわけですが、実際、その若い子達と話してみれば、お互いに望んでいるわけでもなく、お互いにメリットがないと感じていることもたくさんあるのです。

世代を超えてお互いの価値観を分かち合うこと。これからの時代が真に豊なものになっていくために、僕は本当に大事なことだと思います。ちゃんと対話をすれば、共に良い時代を作っていくことができる。神谷くんと話してみて、大きな希望を感じることができました。

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