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現代に足りないパッションをどう鎌倉で表現できるか

一昨日、久々に地元近くにある焼き鳥屋で記憶が無くなるまで飲み、次の日に予定していたゴミ拾いとビーチクリーンをキャンセルした。

やはり疲れが溜まっている状況での飲酒はやめたほうがいいと判断し、平日での飲酒を全てやめることにした。

ただ、その焼き鳥屋で初めて会った人と(会話がうろ覚えだが)楽しく会話しながら飲めたので、

「これが今の時代に消えているパッションだな」

と改めて感じた。

僕にとってのパッションは人と楽しくコミュニケーションをとり、多様性を認め、その場にいる人同士助け合える環境が目の前に広がっていること。あと、人と自然と調和していること。

まさしく今僕が行っているビーチクリーンの活動そのものだ。

ただビーチクリーンをするだけでは、僕の理想であるパッションにはほど遠い。

これから先、僕は仕事をしながらどうやって理想に近づけるか、、、

今の仕事を現役で続けられる10年後までに答えを見つけていきたい。

僕にとってのクソつまらない世界とは


「僕はいつから人生がつまらなくなったのだろう・・・」

とふと考えることがある。

具体的に思い出してみると分かった。

「SNSにハマった時からだ」

と。

僕は今までどこかのインフルエンサーみたいな人、有名らしきブロガー、情報商材を売りつける人などなど、SNSで数多くの人とやり取りしたが、全くもって人間関係が続かなったし、人間関係を構築する云々の問題でなかった。

存在するのは、競争社会だけ。誰がいくら儲けたかとか、誰が賢いかとか、所謂マウンティング合戦みたいな。

僕は鎌倉学園在校時、当時の鎌学は今と違い、体育会系のむさ苦しい連中の集まりで常日頃からうざいことをさせられていた。結果的に高校1年の夏に中退するほど、体育会系の輩に悩まされていた。

この人たちの性分はただ一つ。狭い世界でも勝つことが全て。

「男は強くて当たり前。弱い奴はいじめられて当然」という動物以下の考えだから稚拙以外何ものでもない。

僕が競争社会当然のSNSの世界を見た時、この狭苦しい世界を思い出し、去年まで悩んでいた。一時期本当に精神的不安定になり、ひきこもりとアルコール依存症と過食症にまでなった。

一応今現在は信頼関係のある方のみとSNSでやりとりできているので問題ないが、SNSは基本人間にとって悪魔的な存在であると僕は主張している。

LINEを捨て、生身の人間と会え!


僕は基本LINEをしない。たまに茨城に住んでいる親友とちょっとやりとりするくらいだ。

LINEの長時間続くやりとりがどうも嫌で、「めんどくせえから会って酒でも飲みながら語ろうぜ」と思うくらい僕は人と会うことを重視しながら生きている。

「みんなコミュニケーション能力が低すぎる」

というと一部の人にキレられるが、あまりにも現代社会は何かと言い訳をして「挨拶ができない」「人見知りだ」と連呼できてしまう環境が逆に整ってしまっていると言っていい。

僕の地元は工場地帯でそこの工場・倉庫などの会社で働いたことがあるが、本当に会話一つできない人間が山のようにいて、「世も末だ」と思ってしまった。

工場や倉庫のような閉鎖された環境に人間がいることは人間にとって害であると確信したし、工場や倉庫でなくても、多くの人が閉鎖された環境で生きており、それが社会の閉塞感を生んでいると僕は思う。

そして何かと、「ハラスメント!」「コンプライアンス!」などと人間関係に関することがうるさくなり、余計に人間関係の希薄化に拍車がかかってしまっている。

すごく傲慢な発言になるが、僕は一般の人よりも様々なステージで戦ってきた。皆狭い世界でうじうじ悩みすぎだと常々思う。

「地元がクソ!」と言い放ち、東京の競争社会で戦い、大阪の文化にカルチャーショックを受け、茨城や福岡の片田舎の人間関係に触れ、そして今鎌倉の人たちとの交流がある。

これだけリスクを負い、ようやく自分にとってマッチするステージを見つけたんだ。そう考えると多くの人は合っている場所で安心しているのでなく、何となくその場の環境に合わせているだけだ。

日本は思っている以上に広い。それプラス日本は多種多様な文化で成り立っているのだ。

今すぐ日本人はLINEを捨て、色々な人会って能動的に多様性を理解すべきだと僕は思っている。

鎌倉を日本一創造する街にしていきたい


僕が鎌倉でのビーチクリーンで学んだことは、

  1. 年齢関係なく人間同士共生し合える社会づくりを誰かがやらなければならない

  2. 起業家、アーティスト、地元の市議会議員など枠にとらわれず人間同士連携できる

  3. 「津波が来たらどうしよう」でなく、いつ何が起きてもすぐに対応できる街づくりをする

  4. 鎌倉の伝統や文化を守りつつ、新しい価値観を少しずつ芽生えさせる

ことである。

多様性という意味では圧倒的に東京都内が栄えているが、東京にないものが鎌倉に数多く存在しており、それを皆が大切にする、維持することが大事になってくる。

そして今の日本に足りないパッションを常日頃感じることが重要だ。

どんなことでもいい。

「ビーチクリーンで変なゴミを発見した」とか「モルックで高得点がでた」とか。

横浜や東京などの都会暮らしをすると日々刺激に追われ、このようなパッションを得られなくなる。だから日本人は病むし、芸能人の不倫問題などどうでもいい話題にばっかハマるようになるのだ。

今僕は、『鎌倉ボランティアマン』という訳の分からないネーミングで活動しているが、決して意味がないけど、何となくこれをやったら面白いなとか、この価値観面白いなで僕は生きている。

僕の活動がいつか人のためになる日が来るまで、ブルーカラーの肉体労働で今日明日も頑張るのだ。




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