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バーチャル世界で価値のすべてを交換する


長い前振り

インターネット上の世界での交流は今や当たり前のように行われていて、ECなどオンラインで買い物も新型コロナも手伝って加速的に進んでいる。

新型コロナの脅威が激しくうたわれていた時に
「このまま世界経済が破綻して、文明さえも失われたらどう生活するか」をふと考えた。

その時は仲間たちと小さなコミュニティを作り、私が野菜を作り、料理人の友だちが飯を作り、アーティストには歌を歌ってもらうような生活も悪くないと思った。

そこはお金の価値がない世界で、それぞれが持っている物や技術を役割として分担する古代のような生活方式になる。

お金の価値が変動する状況では暴落が少ない希少価値のあるものに交換する人もいるだろうが、一般的に希少価値のあるもので本質的に必要なものはほとんどないと感じる。

今はだいぶ飽和してきたが3月4月にマスクが不足し、価値が急上昇したことで分かるように物の価値は必要に応じて変わってくる。

農業でいうと和牛やシャインマスカットのような高級な食材はもちろん味・品質など農家の努力もあるがブランドに値が付いていて そこに価値を感じる人間が買っていく。

ではブランド化する意味とは?

ブランドが必要なのはあくまで資本主義経済の中であって、山浦農園のほうれん草は安全でおいしいという事実はそれ以上でもそれ以下でもない。

あくまで買ってもらうためのイメージ戦略なのだ。

もちろん理解できるけど、単純にそういう経済があまり得意ではない。

自分もこの世界で物を作り、売る仕事をしている以上そこからは逃れられないが、必要なものが必要な分だけあれば世界は美しくまわり、人は幸福になれる思っている。

旅行行きたい、ファッションはどうなんだ とかの異論はあると思うがそれに価値がないということではなくて、それはあくまでの豊かさから生まれた欲のスパイラルで「生きている=当たり前」が前提としてある価値観でしかない。

本来「空気・水・大地」があれば、あとは少しの文化があればいいはずなんだ。

常に価値の相場はかわる

マスクの例でも挙げたが需要と供給のバランスで物にしても、技術にしても価値の相場は毎秒変わる。

AIだITだといってる現代でもいまだに農家はそれぞれ好き放題作り、相場がよければ「今年はよかった」と言いつつ、豊作でも価値が付かなければ出荷調整という名のもとに廃棄することで補助金をもらい生きながらえる。

もちろん野菜ができる前提の技術は必要だろうが、自信の努力以外のところで自分の費やしたお金や時間の価値が決まることに違和感を感じている。

その陰で一般的には最低限の値段が付いた野菜が店頭に並び、消費者はその安い値段の中でさらに良いものを選び節約しようとする。

毎年天文学的数字の食べ物が捨てられていくと同時に同じ価値のあるものがいくらかの値段がつけられていくこの社会は一度ぶっ壊した方がいい。

ぶっ壊すって簡単なようで難しくもあるけど、一つは小さな独自の国家や社会を作ることがそれに値すると思う。

現状それに近い、というかその形なのがオンラインサロンや宗教であるように思える。

同じ価値観を持ち、その中でコミュニティを作り助け合う形。

ただその運営を可能にするカリスマと努力、濁らないけど変わり続ける芯のある価値観は必要になる。

バーチャルビレッジで価値交換

オンラインなどバーチャル上のコミュニティはすでにいくらでも存在しているが、そこに共通の価値が存在するわけではなく、あるのは共通の目的だと思う。

物々交換のマッチングサイトは存在するがそこには共通の価値観はなく、貨幣をなくした取引ではあるだろうが人間関係は存在しない。

人間(信頼)関係のないコミュニティは今の社会とあまりかわらない。

答えが出てないけど、要はバーチャル上にコミュニティを作り、人の役に立てるものや技術、キャラを持っているならだれもがそれを交換できるけど、そこには競合はない。

供給前提の社会ではなく、需要に特化したバーチャルビレッジを作れれば素敵だな―と思っている。

それとリアル社会の中でうまくバランス取れれば、過度なストレスはほとんどなくなるんじゃないかな。

バーチャルビレッジってしたのは昔の村を意識してほしかったから。
村から一歩も出たことがないってジジババも昔はたくさんいたけど、逆に言うとそれで人生を終えられるほどそこは豊かだったとも言える。

これをやるのに必要なのは バーチャル内で上記ができるプラットフォームとコミュニティを作る方法だね。

いろいろ考えられるけど、意外と今いる友人間である程度は人生に必要なものを集められる気はする。衣食住、+文化って感じかな。

IT村は飯食っていけないかもだけど、技術を他のコミュニティに輸出して米でも送ってもらえばいい。

全ては役割であって、考えようによってはそこに政治は必要かもしれないけどあくまで行政的なフラットな立場で権力は存在しない。

「そこも役割交換で行政的な役割を担う代わりにコミュニティ内のものと交換できて、それを数値化する為にポイント制にしてそれを交換できるようにする」

こうすると貨幣経済ができて普通の社会だから気を付けなきゃねw

なので行政的な役割をプラットフォームが担う必要があるか。


目指したいのは人の役に立てば生きていける社会

役に立たない人なんかいないし、捨てていい食べ物なんかない。

ただ役に立つためには汗をかいたり、時間を割いたり、努力は最低限必要とされるし、どれだけ安くても捨てるために作られた作物なんかどこにもないんだ。

このコミュニティを作るには、最低限なにか価値のある存在にならなきゃいけないけど 今の社会は生きることが前提となりすぎていて、生きるために必要な努力が損なわれている、もしくは努力の方向性がバグってる気がする。

海外で貧困の極致を見て絶望したことがあるから思うことかもしれないけど、豊かさの方向性や何を守るかってことの定義がずれてきてると思うんよ。

誤解を恐れずに言うと、そういう意味では「宗教」的な正しい価値観と言えるものが明確にあるならば、そこに基づいた社会づくりが美しく思える。

それはナチスや北朝鮮的な画一的な価値観ではなく、個の価値観の花が咲くような多様性に満ちた社会になるはずなんだ。

矛盾に感じるかな?

伝えたいのは
人は本来もっと簡単に幸せを感じる生き物だったはずってことだけなんよ。


ありがとうございます。何かしら社会の役に立ったり、誰かの人生に影響するような記事を心がけていきます。 根が照れ屋なので 若干の不真面目は照れ隠しです。 ご承知おきを。