【移住先の決め手と障壁】東京のゼネコン社員から、長野県原村の地域おこし協力隊に#3
こんばんは、長野県原村 地域おこし協力隊の、”うっちー”こと内田将大(うちだ まさひろ)です。
昨今、コロナ禍の影響でリモートワークが広がり、地方への移住は空前のブームになっています。
とはいえ、”移住の決断”は人生をかける挑戦であり、未だに重いワードであることに変わりはないと思っています。
いまの仕事や生活を、いわば”白紙化”する必要がありますから。
そこで今回は、移住先の決め手と移住するにあたっての障壁について、お話していきたいと思います。
私の移住先(長野県原村)の決め手
私の移住先は、長野県諏訪郡原村。
生まれ故郷でもなく、育った場所でもなく、知り合いも誰一人いない。
まさにゼロからのスタート、”Iターン(アイターン)”です。
ただ、”全く知らない土地”というわけでも、ありませんでした。
元々、原村には親戚の別荘があり、約30年間毎年訪問するほど馴染みがありました。
また、趣味が登山でもあり、八ヶ岳をはじめ360°山に囲まれた生活に“淡い憧れ”を 持っていました。
そして、協力隊のミッションである「日本で最も美しい村」の活動の推進。
この仕事に魅力を感じたことが、大きな決め手です。
参考まで、「日本で最も美しい村」にご興味がある方は、こちらの本を読むことをオススメします。美しい村を守る各町村の取り組みが、素敵な写真とともに語られています!
移住先の決め方
私の場合、以下の3点が移住先を決めるときの後押しとなりました。
① 地元ではないけれど、毎年訪れていた馴染みある場所
② 登山が趣味で、山の生活への淡い憧れ
③ 移住先での仕事に魅力を感じたこと
特に、①の理由が大きかったです。
と、カッコよく言っていますが、筆者は心配性の塊のような人間。
「本当に原村でよいのか?」
「他にもっと良い移住先があるのでは?」
と、引越の前日夜まで(!)、結構な時間をかけて調べ続けていました。
この優柔不断な経験を基に、移住先の決め方のアイデアをまとめてみました。
あくまでも私見ですが、移住を考えている方のお役に立てれば嬉しいです。
移住するにあたっての障壁
移住先がいざ決まったとして、最大の関門が「家族の理解」です。
実際、ご夫婦で移住に対しての温度差が大きくて、説得に数年を要したという話も聞いたことがあります。
ここで、私のケースについてお話しします。
夫婦2人暮らし、妻は都内企業勤めです。
原村への移住は私の希望が故に、妻のやりたい仕事を無理に変えるという選択肢はそもそも考えていませんでしたし、夫婦バラバラで暮らすことも基本的に無しの方向で考えていました。
このため、仮に東京を離れることが出来ないのであれば、「移住は断念」という線もありえました。
幸いにも、妻の会社に移住について相談したところ、「朝の出社に間に合う距離なら大丈夫」という回答を頂くことが出来ました。
無事、私は前職を退職して、妻は今の仕事を続けながら、夫婦で原村への移住が叶いました。
現在では、自宅や、近くのコワーキングスペースを使いながら、リモートワークを続けています。
客先打合せや懇親会などで、週1日程度は東京のオフィスまで足を運んでいます。
とはいえ、妻には片道3時間の通勤を強いる結果となったのも事実。妻には感謝しかありません。
少しでも恩返しをすべく、東京在住時には(忙しさのあまり)ほぼやらなかった料理を、最近は少しづつ始めたりしています…。
結論: 家族の理解なしに、移住は無し得ない!
移住によって、家族に迷惑が掛かってしまっては元も子もありません。
一方で、自分も家族もWINWINになれる移住先は、必ずあります。
現在、移住を考えている方、良い地域に巡り合えることを切に願っています!
以上、移住先の決め手と移住するにあたっての障壁について、お話ししました。少しでも気に入っていただければ、フォロー・いいね貰えると嬉しいです!
それでは、次の記事でお会いしましょう!
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