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心と記憶をノックするアニメ『葬送のフリーレン』

初回に金曜ロードショーの枠を使って4話一気の放送。
思い切ったことをやるものだと思った。

随分前から噂になっていた作品。
アニオタとしては見なければならない。
使命感にも似たものがふつふつと湧きあがる。
オジサンの心の中には「見ない」という選択肢はもはやなかった。

見る前は、
「どれどれ、そんなにスゴイのなら、アニオタオジサンが見てやろうか」
などと大上段に構えて視聴開始。

絵は、まあまあきれいかな。
キャラは、う~んと、普通かな。
バトル。ほとんどない。
声優は?っと。たねちゃん(種﨑さん)、さすがやな。
OPは、あ~またYOASOBIね。

最初の数分は、こんな感想を抱きながら見ていた。
そして、ふと気づくのだ。

「コン」

なんだ?ノック?

しばらくすると、また

「コン、コン」

セリフが、キャラの表情が、何気ない背景が心のドアを軽くたたく。

50年後のエイラ流星を見つめるヒンメルの目。
死期を悟ったハイターがフリーレンに出立を促す台詞。

その音がするたびに、アニメのシーンと自らの体験が重なる。
呼び出される。
ぼんやりと。

なんだろう?
逆に、茫洋としているからこその心地よさ。

たぶん自分の記憶の中だと、明確につながったのは次の二つ。
修学旅行の思い出を嬉々として話す私を見つめていた祖母の目。
病床で「家族全員集まれ」と私に伝えた父。

こんな感じで、個人の思い出や記憶と重なり、自然に引っ張り出されてくるのだろうと感じる。

そして、ずっとノックの回数や頻度は大きく変わらない。
時折、思い出したように。
心と記憶に問いかけてくる。
そのタイミングや頻度は見る者によって変わるのだろう。

自分の中の大切な欠片。
それを思い出しなさいと。

その記憶の正体が何なのか?
わからないものがほとんどだ。
先に書いたように、アニメのシーンと自分の具体的な思い出が結び付く場合もあれば、結局何だったのかわからないままのことも多い。

結局4話分見終わっても、判然としなかったことが多数あった。

勇者パーティーと別れ、50年以上たって再会し、何かを知ろうと旅をする主人公の姿と重なる。

子どもの頃に親や大人たちが教えてくれた何か。
自分の成長の過程でそれらを形にしていったことに似ていると感じる。

現実世界のように、直接的な言葉ではない。
ある種メタファーとして、コンコンと心をノックしてくるだけ。
思い出しなさいと。感じなさいと。

そんなアニメなのだ。

見終わった時に、ほんの少しだけれど、何か大切なことを思い出せそうな気がしてきた。
大人になる過程で学んだこと。知ったこと。
悔やんだこと、振り返ったこと、感じたことを。

『葬送のフリーレン』

まだ4話しか見ていない。
でも、2クール見るしかない。
そう感じる内容だった。
決して強く引き付けられたのではない。
たぶん「一緒に思い出そうよ」と誘われた感じ。
そんなアニメには今まで出会ったことがない。

不思議な感覚に包まれた。

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