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【マンチェスター・ユナイテッド】ウェイン・ルーニーの軌跡〜クラブ別に振り返る〜【ダービー・カウンティ】

こんにちはMasaユナイテッドです。

3月6日、ユナイテッドはFAカップ5回戦を、ルーニー率いるダービー・カウンティと戦います。

今年1月にイングランドに帰ってきたルーニーは、言わずと知れたユナイテッドのレジェンドです。

ルーニーとの再会を記念して、彼の経歴を在籍した4つのクラブ別に振り返ります。

これを読んでFAカップ楽しんで下さい!

①エヴァートン

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写真:ルーニー オフィシャルサイトより

9歳の時にエヴァートンの下部組織に入団したウェイン・ルーニー。エヴァートンはルーニーにとって原点のクラブであり、最も愛しているクラブです。デビュー当時は、まだあどけなさの残る少年でしたが、サッカー・センスは桁違いでした。

トップチーム・デビューは02/03シーズン開幕節のトッテナム戦。この時わずかに16歳と289日です。10月には、ワージントン・カップのレクサム戦でゴールを上げ、エヴァートンの最年少ゴール・スコアラーになります。

そして2002年の10月19日、グッディソン・パークで衝撃の瞬間が訪れます。当時、無敗を誇り、最強チームだったアーセナル相手に、25ヤードの距離からゴールを突き刺したのです!このルーニーのゴールで1-0でアーセナルを下し、無敗記録も30でストップ。16歳と360日でのゴールは当時のプレミア最年少記録です。

その時の衝撃は良く覚えています。私はすぐに、ウイイレのマスターリーグで、自分のユナイテッドにルーニーを移籍させました(笑)。

そんな、大活躍のティーンエイジャーは

03年1月 エヴァートンと最初のプロ契約
03年2月 イングランド代表デビュー(*17歳111日)
03年9月6日 代表初ゴール (*17歳と317日)
*どちらも当時の最年少記録

とスターダムを駆け上がっていきます。

2004年のユーロ・ポルトガル大会の後で、ルーニーはマンチェスター・ユナイテッドへ25.6M£で移籍します。それから、2017年までユナイテッドに在籍したのち、エヴァートンに帰ってきます。17/18シーズンは、すべての大会で11ゴールを記録し、クラブのトップ・スコアラーとしてエヴァートンでのキャリアを締めくくりました。

エヴァートンへ復帰した時、ルーニーはユナイテッドに在籍していた13年間、自宅では毎日エヴァートンのシャツを着ていたと明かしています。エヴァートンはルーニーにとって【心のクラブ】です。

②マンチェスター・ユナイテッド

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写真:ルーニー オフィシャルサイトより

ユーロ2004の後で、ユナイテッドにやってきたルーニー。13年在籍したユナイテッドでは、まさにチームのエースとして活躍してくれました。サッカー人生の全盛期をユナイテッドで過ごしてくれたのは、ファンやサポーターにとって決して色あせない宝物です。ルーニーにとってユナイテッドは【特別なクラブ】と言えますね。

デビュー戦ハットトリック。衝撃のユナイテッド・デビューでした。2004年9月28日のCLフェネルバフチェ戦でのことです。04/05シーズンは43試合17ゴールを記録し、PFA年間最優秀若手選手賞を受賞します。

ユナイテッドでの主なキャリアを振り返ります。

05/06 カーリング・カップ優勝(2ゴール MOM)
06/07 プレミア・リーグ優勝 23得点
07/08 プレミア連覇 CL優勝(vsチェルシー)
08/09 プレミア3連覇 クラブWカップ優勝
11/12 シーズン34ゴール(ベスト)
13/14 クラブ・キャプテンに就任
16/17 ユナイテッド通算250ゴール クラブ歴代最多得点更新

07/08シーズンのスカッドは、ロナウド、テべス、リオなど最強のスカッドでした。その黄金期を支えてきたルーニー。トップの選手として、ゴールを上げながら、ロナウドやテべスのお膳立てもこなし、ディフェンスラインまで猛然とプレスバックもやってのける、とても熱いハートを持った選手でしたね。

ファーガソン退任後は、モイーズ、ファン・ハール、モウリーニョと監督が変わる中、キャプテンとしてチームをまとめ、ポジションも左WGや中盤の役割も求められるようになります。しかし、ストライカーが一番似合ってましたし、ファンもルーニーの思い出は、その素晴らしいゴールシーンばかりだと思います。

ルーニーのスーパーゴール3選!!!

①04/05 vsニューキャッスルのボレー・シュート
②10/11 vsシティのバイシクル・シュート
③16/17 vsストークのFK(250ゴール目)

移籍騒動だったり、飲酒したり、不倫したり、植毛したり(笑)お騒がせもたくさんありましたが、多くのファンから愛された、正真正銘のユナイテッド・レジェンドの1人です。ルーニーも「ユナイテッドで引退したかった」とのちに語っています。ユナイテッドはルーニーにとって【特別なクラブ】なんですね。

③DCユナイテッド

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写真:ルーニー オフィシャルサイトより

2018年6月に、ルーニーはアメリカ・メジャーリーグ・サッカーのDCユナイテッドと3年半の契約を結びました。エヴァートンで、上手くいかなくなり、新たな冒険へという決断でした。異国の地で、ルーニーの新たなチャレンジが始まります。

アメリカへ渡っても、そのサッカー・センスは衰えていませんでした。

DCユナイテッドの戦績をまとめてみます。

2018年7月 初ゴールをマーク(vsコロラド)
2018年10月 月間最優秀選手賞(5ゴール)
2018年11月 20試合12ゴールでトップ・スコアラーに
2018年11月 DCユナイテッドはMLSのチーム・オブ・ザ・イヤーに
2019年3月 ハットトリック(vsソルトレイク)
2019年10月 28試合11ゴールでシーズン終了

2シーズン(2018シーズンは途中から)に渡り、キャプテンとして、ストライカーの役割でチームを支えてきました。2018年8月のオーランド・シティ戦の、一人自陣まで戻ってボールを奪い、前線へロングアシストを決めたシーンなどは、一時話題になりましたね。

ルーニーは当初、2021年までの契約で加入しましたが、異国の地で、妻コリーンと4人の子供たちが馴染めなかったこともあり、2020年1月から選手兼コーチとして、イングランド・チャンピオンシップのダービー・カウンティに移籍することを発表しました。

DCユナイテッドでのプレーは快適だったかどうかはわかりませんが、DCユナイテッドはルーニーにとって【挑戦のクラブ】でした。

④ダービー・カウンティ

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写真:ルーニー オフィシャルサイトより

ルーニーは、2020年1月から、1年半の契約(1年の延長オプション付き)でダービーに加入します。将来的に、指導者の道へすすむ為の第一歩として、選手兼コーチという立場での契約です。

選手としては最後のクラブになるかもしれません。

1月2日のバーンズリーとのデビュー戦では、早速アシストを決め、健在をアピール。

これまでの成績をまとめます。(2020年3月5日時点)

チャンピオンシップ 11試合3G2A
FAカップ 3試合1A

リーグ戦では13位と低迷しているダービーですが、FAカップでは4回戦で、ノーザンプトン・タウンを下し、5回戦に進出しました。

ルーニーは加入後、全ての試合に出場。多くの試合で、10番のポジションでプレーし、チームに貢献しています。

ルーニーのダービー移籍に関して、ちょっとしたトリビアを紹介します。

なぜ、高額なサラリーのルーニーをダービーが獲得できたのか?ルーニー自身は、監督であるフィリップ・コクー監督の存在を理由に挙げていますが、ダービーのスポンサーであるオンラインカジノ会社である「32Red」が年俸の一部を肩代わりしている事も関係しているようです。

ルーニーが背番号「32」を着る事で、子供用ユニフォームには印字できないカジノ会社の宣伝になるという仕掛けです。若い時に、ギャンブル依存症で、5か月で1億円もカジノで失った経験のあるルーニーをキャンペーンに使うという、なんとも大人な事情がそこにはあるようです。

ダービーをプレミアの舞台に引き上げるという野望をスタートさせたルーニー。このクラブが、現役【最後のクラブ】になるかもしれません。

👿まとめ

FAカップ5回戦で、ユナイテッドと対戦するルーニー。ダービー・ホームで3月6日に戦います。

所属してきた4つのクラブ、どこにとってもルーニーは特別な存在です。熱い闘志と、圧倒的なクオリティは全世界で愛されました。

規格外だったエバートン時代。栄光と挫折を味わったユナイテッド時代。新たなチャレンジだったDCユナイテッド時代。そして最後の戦いになるかもしれないダービー時代。4つのクラブでの成績を合わせると

742試合309G171A

半端ないです…。

将来、指導者としてユナイテッドに戻ってきてくれる日がくるかもしれません。そう思うと胸アツですね。

その前にまずは、FAカップ。勝つのはユナイテッドですが、ルーニーはまだやれる事を証明するために全力で向かってくるでしょう。ルーニーとの再会、楽しみです。

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