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承03 「共感」で、「やさしい世界」を創る

◆「共感」とは?

Wikipediaによると、「共感」は、「他者と喜怒哀楽の感情を共有することを指す。」と書かれています。
相手の立場を想像し、相手の立場に立って、相手と同じように、考え、感じてみることといってもいいだろうと思います。
 
最近メディアでは、他人の批判にあふれ、SNSでは炎上の話をよく聞きます。また、日常的にも、様々なハラスメントに溢れ、「カスハラ」という、過度のクレームなどといったニュースもよく耳にします。
そんな状態に、私は、社会に、何となく、とげとげしさを感じさえします。そして、その原因が、この「共感」の不足にあるのではないか、と思っています。
 
私が、「共感」という行動と出会ったのが、この春、卒業したグロービス大学院の、難波先生のクラスでした。
それまで、私は、自分の思いを、うまく他人に伝えられないという悩みをもっていました。しかし、「共感」という概念を、少し理解できた時、相手の立場を考えるのではなく、その立場に立ってみようと試みることにより、これまでの自分に違和感を覚えはじめ、それと同時に、小さな光が見えたように感じました。また、それにより、自分中心に考えていた自分が、少しであるが、柔らくなったようにも感じました。
 
今の私にとって、「共感」とは、「唯一の自分」が中心であることから脱することなのだと思います。

◆「環世界」とは?

そして、もうひとつ、「環世界」という言葉があります。
「環世界」とは、Wikipediaには、「すべての動物はそれぞれに種特有の知覚世界をもって生きており、それを主体として行動しているという考え」と書かれています。そして、ここでは、それぞれの人が見、感じている、その人の知覚世界を、「環世界」として考えていきたいと思います。
 
人は、それぞれの独自の、異なる「環世界」に生きています。つまり、もしあるとすればですが、一つの客観的な事実を、人は、それぞれの角度から、それぞれの眼鏡をかけて、見ているようなものです。
 
ここで、一つ例をあげてみます。
ここに、缶コーヒーがあるとします。
ある人は、テーブルの上に置かれたものを真上から見ています。その人には、その物体は、丸いものと見えるでしょう。
ある人は、真横から見て、長方形だと主張します。
また、手に持っている人は、暖かいものと言います。
そして、飲んでいる人は、中にコーヒーが入っていることがわかります。
どの人の言うことが正しいのでしょうか?

◆「環世界」の違いが、時に対立を生む

おそらく、そのすべての人が正しいと思いますが、どの人も完全ではありません。でも、すべての人の見方を総合すれば、それが缶コーヒーであることがわかります。
 
「環世界」ってこんなものだと思います。
 
缶コーヒーごときでは、戦争は起こりませんが、ちょっとした喧嘩なら、それまでの経緯と重なり合えば、起こるかもしれません。
実際に、戦争していても、同じようなことが起こっているのではないかと思います。つまり、お互いの主張は、ある側面では正しく、ある側面では、不足しているもの、見えていないものがあるということなのかなと思うのです。
 
とすれば、もし、その見えていないものが見えるようになったら、「環世界」が翻訳できたら、あるいは、融合されたら、そういった対立も、かなり減るのではないかと思います。
そして、実は、このことに気づいている人は、世界中に、たくさんいるのだと思います。でも、それが、できない何かがある・・・

◆「共感」は「環世界」のトランスレーター

例えば、今、目の前に見知らぬ外国人がいたとします。もちろん、外国人は、面識はなく、日本語も話せません。
ここで、まず、わかることが、相手がどういう状態なのかは、推測はできても、正確なことはわからないということです。
 
では、ここに、その外国人と、言葉でつなぐことができる、翻訳機があるとしましょう。
すると、相手との会話の中で、ある程度のことはわかるでしょう。
ただ、それがどの程度、正確か、あるいは、本音のものなのか、それはまだ、測りかねます。日本人がよく言われるように、本音と建て前を使い分ける人かもしれませんし、何か、偽ろうとしているのかもしれません。
また、それは、その翻訳機の性能、あるいは、あなたの相手に向かう姿勢によっても、変わってきます。
 
これと同じことは、異なる「環世界」間でもいえるのではないかと思います。
「共感」しようとしなければ、自分のものとは違う、「世界」の見方があるとは、考えもしないと思います。しかし、「共感」をしようとした時に、まず、「環世界」間に違いがあることに気づき、その「共感」の深さ、つまり精度、感度によって、相手の立場、気持ちも、より深く理解できるということになり、結果として、異なる「環世界」が繋がる可能性が高まるのだと思います。
 
つまり、「共感」は、「環世界」間のトランスレーターの役割を担っているのだと思います。であれば、精度、感度の高いトランスレーターを持ちたいものです。

◆「やさしい世界」とは?

ここまで、読んでいただければ、おそらく、ご理解いただけると思いますが、私は、「共感」によって、「環世界」がつながれた世界が、「やさしい世界」なのだと思っています。
 
ただ、ここで一つ問題があります。それは、「共感」して、相手の立場、気持ちをある程度理解できたとして、それを、悪用する人もいるのではないかということです。実際に、善意を装って近づき、詐欺を働くという事件もあります。
 
そこで、「共感」とともに、もう一つ必要になることが、相手の立場を理解したうえで、相手のことを、自分のことと同じぐらいに、大切に思うことだと思います。これは、今いまに、余裕がなかったり、目先のことにとらわれていると難しいことですが、ここで、思い出してほしいことが、「幸せ」も、「不幸」もうつるということです。ですから、自分が、「幸せ」になるためには、周囲の人も「幸せ」でなくてはならないのです。さらに、周囲の周囲も・・・、と考えると、自分から、最も遠い人さえ、「幸せ」である必要があるのです。
 
つまり、「やさしい世界」とは、私たち、一人一人すべての人が、他の人、理想論で言えば、すべての人の立場に立って、自分と同じぐらいに、大切に考えることができる世界、異なる「環世界」が共存できる世界なのだと思います。

◆まとめ

・人それぞれ、異なる「環世界」を持つ。常に、同じものを見ていても、人それぞれ、見え方は違うということを、頭に入れておきたい。
・「共感」は、異なる「環世界」を繋げる翻訳機のようなものである。
・「幸せ」も、「不幸」もうつる。ならば、「共感」を、相手を「幸せ」にするために活用したい。それが、自分にも、「幸せ」になって戻ってくる。
・皆が、それをしている世界が、「やさしい世界」である。

◆あとがき

前回の投稿から、かなり時間があいてしまいました。
考えては、修正しを繰り返して、考えがまとまりませんでした。
しかし、11月にはなんとか、という思いで、「えいやー」ととりあえず、ここまでの混乱を、力づくで、とりまとめることができました。
今後は、もう少しハードルを下げて、後で、直してもいいんじゃないかぐらいに思って投稿したいです。

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