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イスラエルの旅-その1;ホロコースト博物館

※この記事は1年前に書いたまま、放置されていたものです...

2018年の8/14-21の間で、ヨルダンとイスラエルに行ってきました。イスラエルは大学の卒業旅行時に行きたかったのですが、当時は治安にびびっていて断念し、4年越しのリベンジ。

ヨルダンのペトラ遺跡で一泊しインディ・ジョーンズを体感した後には、難関と恐れられる陸路での国境超えに挑み(余裕だった)エルサレムに入りました。日本人パスポートは最強らしく、びくびくしてたものの思ったよりすんなり入れましたが、ぼくらの前に並んでいた人は別室に連れてかれてました。イスラエルではエルサレム旧市街で各世界宗教の聖地を感じたり、一神教の過激派の行動を目の当たりにしたり、パレスチナ自治区でイスラエル側の振る舞いの現状を知ったり、ホロコースト博物館でユダヤの歴史を学ぶという旅でした。

恥ずかしながら、中東のパレスチナ問題について全く理解がなかったもので、この旅に向けて多少のインプットを行ってから臨みました。全体感を把握するには、こちらがおすすめでした。
さて、この記事では本問題について、現地で見て感じたことをまとめておきたいと思います。フィールドワークとしてこの問題に関連する情報を観察できたのは主に下記の場所です

・エルサレム-新市街
・エルサレム-ヤド・ヴァシェム(ホロコースト博物館)
・ベツレヘム-分断壁
・ベツレヘム-バンクシーホテル内のミュージアム

びっくりするほど綺麗なイスラエル新市街

こんな感じで、新市街は近代的な雰囲気かつ区画整備がしっかりなされていました。トラムも3-5分に1本は走っているくらい交通網も発達しています。街全体も歩行者に優しいつくりになっていて、ショッピングストリートが続いている。正直イスラエルに入国した当初は、治安的に警戒はしていたのですが平和的な雰囲気で包まれておりました。

ヤド・ヴァシェムで学んだユダヤ人・虐殺の歴史

エルサレム観光のメインは聖地巡りでしたが、もう1つこのヤド・ヴァシェム(ホロコースト博物館)は外せませんでした。
歴史上最悪レベルのホロコースト、ヒトラー率いるナチ政権により断行され、合計で600万人以上のユダヤ人が虐殺された出来事です。当時の資料や写真と共にかなりの情報量が編集されているのが、このヤド・ヴァシェム。

■ホロコーストの背景
当時のドイツは第一次世界大戦に負けて、かなり極貧の状態であり、国民の生活は荒み、国の誇りはズタボロな状態。その貧困状態がナチスの台頭に一役を買ったのでしょう。

ナチスはアーリア人に当てはまらない民族は脅威とみなし、市民権の剥奪や徹底的な迫害や強制労働などの扱いをしていましたが、行き過ぎた単一民族主義の結果、ユダヤ人自体を根絶やしにすることが「最終的解決」であるといった考えに傾いていきました。1930年後半には、ナチスの政治システムは安定し、実質的に多くの国民が民主主義の廃止と政権反対者の処刑を受け入れていたと言います。つまり、ドイツ国民によりナチスは形作られ(まさに悪の凡庸さ)、一方それゆえにドイツは経済的危機から脱し、ドイツ軍は再建、そうした事実はドイツの国としての誇りを取り戻すことになりました。一方、世界はユダヤの処刑はドイツ国内の時事だ、とただただ黙認していたといいます。それが意味するのは、ヨーロッパの力をもつ諸国もこの虐殺に加担していたということ。なぜ、止めなかったのか?ということ。ミュージアムにはこれに関する記述が少ないですが、ドイツだけの問題ではなかったことが分かります。この出来事が現在のヨーロッパの根底にあるということを忘れてはいけないのだと痛感。

■イスラエル兵とホロコースト博物館
ミュージアムでは、当時の収容所の様子や、虐殺された無数の痩せこけた死体がブルドーザーで穴に放り込まれる生々しい映像なども流れおり、その悲惨さを語っていました。
また、ミュージアムに来ていたのは観光客のみではなく、大半が若いイスラエル兵だったというのが印象的でした。イスラエルでは18歳になると、男女ともに徴兵されます。兵役中の若者達がその一貫として、自民の虐殺の歴史を学びに来ているのです。

領土がない長き時を経て、1948年に建国されたイスラエル。後述しますが、外敵の恐怖に脅かされているために「国を護る・存続させる」ということがとにかく命題であり、ユダヤ人としての歴史的背景を学ぶことの重要性は強調してもしきれないのでしょう。それを国を背負う若者として学ぶことは必要ではあるものの、"徴兵中のイスラエル兵"がそれを学んでいる意味というのを考える必要があるのかも、とも感じました。あくまで可能性の想像のお話ですが、つまりユダヤ人としてのアイデンティティが強まりすぎ、ナショナリズムへの傾倒が高まった結果として、自国の防御を名目としたパレスチナの排除を正当化しうる恐れもあるのでは、ということです。

ちなみにイスラエルの国是は「全世界に同情されながら滅亡するよりも、全世界を敵に回して戦ってでも生き残る」だそう...

余談ですが、友人のデザイナーさんから伺った話によると、イスラエルの美大における授業の一つでは、サバイバルキットのデザイン、つまり何を持っていけば絶命的状況で生き残れるのか、という問いが課題として課されるそう。

ミュージアムの最後には、ホロコーストの犠牲者の一人ひとりの写真や名前の蓄積が展示されます。このミュージアムはヤド・ヴァシェムという名前ですがヘブライ語の「名前と記憶」という意味があるそうです。歴史の大きな出来事として捉えるのではなくその背後にあった一人ひとりの記憶を紡いでいく、ということでしょうか。

こうして、イスラエルの人々の側面からみたホロコーストの歴史の鱗片を知った上で、その後はイスラエルとパレスチナの分断の物語へ続きます。イスラエルの旅-その2はこちらへ。

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