新型コロナウイルスの初期報道

 (親切なnoteさんが、「政府公表を参照せよ!」とかコメントをつけてくださることでしょう。ありがとう。けれど「報道」そのものを扱うので政府公報では裏は取れませんのであしからず)

 まあ、イヤミな?前書きはさておき。

 当時名前はなかったけれど、チャイナ・武漢(ウーハン)で奇妙な肺炎が流行りつつある、という報道をわたしは外信として、BBCだったかな?、2019年12月の第1週くらいには知った。
 早期に武漢市とチャイナ中央政府が封じ込められれば、良いけれど……と眺めていた。で、まあ、結果は盛大に「海外輸出」する結果になってしまった訳だが……激烈な症状の出るSARSに比べて激症化する性質を抑え込まれていた分、より遠くまで伝播してしまった。封じ込めは明らかに失敗だ。責任感があるなら「罪の意識」から後始末に力を注ぐだろうけれど、残念ながらなのか「平常運転」としか言えないからなのか、チャイナの人には、上から下まで責任感も原罪感もない。いまさら責めても、責められていることそのものをチャイナの人は理解できないことだろう。

 まあ、責める感じになっちゃったけど、欧米の伝える、後に「新型コロナウイルス」、「SARS-CoV-2」。疾病名としては「COVID-19」「新型コロナ」(日本での疾病名、ひどく無い?苦笑)と名付けらることになった、病態の初期報道には、たしか情報源への明確な言及はなかったかと思う。
 病院に患者が押し掛けてますーくらいの感じだった。
 この2019年12月前半の報道、なんらかのリークによって「書かされた」ものだった……かもしれないなー、と今になって思い出してはそう思えてくるようになった。もちろん、真偽のほどを知る能力がわたしにはないので、確定や明言はできない。懸念?疑念?「陰謀譚もどき」ていどの感想だ。

 いくつかの「状況証拠」は(あくまで「状況証拠」です。真偽の程は当事者が外部の調査を受け入れ、なおかつ当事者が証拠隠滅をしていない場合に限り、明らかになる可能性があるでしょう。さもなければ藪の中です)「武漢にあった」とされる杜撰な設備の研究施設から、コウモリ由来ウイルス9種類に対する様々な「実験」途上のものが施設の外へと漏洩したことを示唆しています。
 採取したコウモリの生息する洞窟は現在チャイナ以外の取材者を厳重に排除し、善意でみれば安全性のために封鎖しているそうです。悪意を持ってみれば「証拠を掴ませない」ように躍起ということになりましょうか。でも実際、洞窟内で作業していた方は防疫をせずにいたことより死者も出ているようです(石正麗さんも執筆者に名を連ねる論文にもその記載があります)。

 SARSは、罹患された方は不幸であったけれど、その激しい症状が故にザル検疫であってもさほど遠方に被害を及ばすことはありませんでした。けれどSARSの2世の名を冠するCOVID-19(現在のデルタ株はたぶん、別の名前がいずれ与えられることになると思います)は、「SARSの教訓」にちっとも学べていなかったことを告白しています。どうしちゃったんでしょうね。チャイナは。社会全体が「動脈硬化」して拝金主義と自己保身だけが価値の全てになってしまったツケを、全世界全人類が払わされているかのようです。……リーマンショックのツケを全世界の金融産業以外の人々が国税という形で支払わされたように。金融産業は支援を社員と役員へのボーナスとして支払ったりした……「何様だよ!」って金融業以外の全人類は怒髪天を衝いて怒っていいレベルですよ。まったく。

 こんな調子だと3度目どころか5度目6度目……1万度目もありうることでしょう。まあ、全人類もバカってこともないでしょうから、「防疫観点」からチャイナ地域との交流と往来をいずれ全面禁止せねばならなくなるでしょう。食料はチャイナ領域内で自給し自足してもらわねばならなることでしょう。
 チャイナ古来の「天命思想(天というものが人間社会の公平や格差を眺めて、皇帝を任命するという考え方。モデル。みたて)」に基づいて、チャイナ領域内の人自身がチャイナ領域内の始末をつけるより他はないでしょう。……「天」はすでに何年も何十年も前から示唆している様子ではありますが……どうなんでしょうね。

 事実としては、2019年12月には外信だけれど報道があったよ、というお話でした。
 他の部分は、まあオマケです。わたしの「思いいいれ」みたいなもんです。願望は含めていないつもりです。願い(希い)は含んでいるかと思います。

 んー、たとえば、テレビアニメーション『超時空要塞マクロス』がチャイナの武漢でマクロス初披露だったと想像してその後の物語の展開を思い描いてみてください。別にマクロスでなくてもいい。ガンダムでもマジンガーZでもエヴァンゲリオンでもレイアースでもまどか・マギカでも氷菓でもいい。ひぐらしのなく頃にのヒナミザワがどこかチャイナの農村だったらと思ってみてください。
 そう違いはない「はず」なのに、どうしてこうも「違う」のか。選民良民な優越感や嫌悪を捨ててフラットに、ちょっと考えてみてください。合理思考や先見においてチャイナのほうがむしろ優れているところもあるのではないか、と思うにつけ、なぜあそこまで意固地なのか。頑なに「無価値なもの」にしがみ付くのか(価値が転倒しているよにさえ思える)わたしにはどうにもわからないです。「鬼の姿を鬼」であればこちらも見てくれから身構え、対処の方法もあるのに、チャイナの人は人の形をした「理解不能」であるようです。
 ほんとうに、どうしたらいいんでしょうねえ。……という世界中にとっての「チャイナをどう取り扱うか問題」を健在化させた意義がCOVID-19という疾病にはあったと後世の歴史家は書き記すでしょうか……。

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