見出し画像

ミシシッピで免許を取るのがめちゃんこ大変だった件

今日も朝から大阪のゆみこAnneとオンライン飲み会をしていたところ、ゆみこの愛車のナンバープレートが盗まれたエピソードになり、その後の手続きがめちゃくちゃ大変だった、という話になった。そりゃ大変だろうよ。その話で私がミシシッピで免許を取った時も大変だったのを思い出したので、是非ともここに書き留めておきたい。まさか免許を取るのにこんなに苦労すると思わなかった。

2018年の4月、東京からミシシッピに渡った私は、もちろん国際免許も持って行っていたし、それが1年間有効だと思っていた。運転したくないけどせざるを得ないと覚悟していた。運転はできるけど、しないで済むならしたくないというのが私の主義である。余計なリスクを一つでも負いたくない。ちなみにこれを読んでる人がアメリカの田舎がどんなところか分かるか分からないけど、母夫婦が住むところは歩道もないし、歩いてる人がいたら「この人大丈夫かな?」と思われるような地域で、車でしか移動しない。隣のおばあちゃん家にも「歩くの寒いじゃん」と徒歩1分の距離でも車で移動する、そういうレベルで車は足なのだ。

ところがなんとミシシッピでの国際免許の有効期限は入国してから30日間だった(60日?うろ覚えだけどどちらにしろ切れるところだった)。国際免許は1年間有効だと信じて疑わなかった。アメリカは州によってルールが違う、合衆国だということを身に染みて感じた。ということは私はミシシッピで合法的に運転できない=アメリカの免許を取る必要があった。2018年5月下旬、免許を取るべく免許センターに向かった。

そこで言われたのは、Birth Certificateが必要ということだった。Birth Certificate!?LAやシカゴにいる友人に聞いても「そんなの求められなかった」と言う。でもミシシッピの友人たちは「え、持ってこなかったの?」と言う!ミシシッピの知り合いは結婚でミシシッピに来たフィリピン人が主で、彼女たちは手続きに必要なのかみんなフィリピンからそういった書類を持ってきていた。私は結婚で来たわけでもないし必要だと思っていなかったので、当然持ってきていない。そもそも日本にはBirth Certificateというものはない。仕方がないのでミシシッピから私の戸籍がある東京都練馬区に戸籍抄本を取り寄せる手続きをした。郵便局で国際為替なるものを購入(高かった)し送付、戸籍抄本が届くのを待った。

次に届いた戸籍抄本を翻訳してもらいNotarize(法的に有効にする)という手続きを踏んだ。ミシシッピで、日本語から英語にしてもらえる人を捕まえるのも大変だった。自分でもできるらしいし、多分今ならできるだろうけど、その時はその知識もなかった。この手順だけで1か月くらいかかったと思う。

ようやく書類が整った7月のある日、家から30分位の免許センターに行った。家から一番近い免許センターは、とてつもなく評判が悪かったので、あえて少し遠い、評判がまあまあ良いところに連れて行ってもらった。その日はとりあえず私の情報をシステムに入れるのに数日かかるから、その日は試験を受けられない、ということだった。

一週間後、その免許センターに行くと、まだ私の情報がシステムに入っていない、ということだった。っていうかグリーンカードは?というので、グリーンカードはまだ届いていないが、パスポートについているビザがグリーンカードが届くまでのテンポラリーの証明書になるから、という説明を何度もしているのに受け付けない。やったことないことはやりたくないのか、話にならないというか、相手にしてくれなかった。ここで受け付けてもらうのを諦めた。

その更に一週間後、今度は別の、更に遠い、もっと大きなセンターに向かった。そうしたら、ようやく受け付けてくれた。が、何と私が試験に落ちるという失態を犯す(私は日本でも2回くらい落ちている…)。ただここで受け付けてくれたので、今後どこで試験を受けても良いよ、と言われ安心する。

そしてそのまた更に一週間後、最初に行った免許センターに赴くと、また来たのかというめちゃくちゃ飽きれた目で見られた。先週あそこで受け付けてくれて、どこで受けてもいいと言われているというと「でも書類に何の履歴もない」と言われる。確かに書類には何も書かれておらず、先週受け付けてくれたという証明もなかった。どうにかこうにか説明をして先方も連絡を取ってくれたのか、試験を受けさせてもらえた。私も試験に合格し、免許を発行してもらえるに至った。最初に免許を取ろうとしてから、3か月は経っていた。

何だかこうやって書くと大したことないように思えるが、この一か月、私も母もかなりのストレスだった(落ちたのは私が悪いけど…それ以外は私たちのせいではなかったから)。ある知り合いは、ミシシッピで免許を取るのは大変だから、旦那さんの実家があるフロリダで取った、と言っていた。また元同僚は、旦那さん(インドネシア人)の免許更新をする時、書類は全てそろっているのに「あなたはこの書類に対して若すぎる」と突き返され受け付けてくれなかったという話をしてくれた。私はこの時初めて生きづらさを感じた。ずっと東京にいても、初めからニューヨークにいても、経験しなかっただろう生きづらさ。1年住んでも、私は慣れることができなかった。だけど自分にとってユニークで、人生にあって良かった経験なのかな、と今なら思える。自分で生きやすい場所を選べるというのは、とても恵まれていること。だから、今は自分で選んだニューヨークでもうちょっと頑張りたいなぁ、と思っている。

*.。.*゚*.。.*゚*.。.*゚*.。.*゚*.。.*゚*.。.*゚*.。.*゚*.。.*゚*.。.*゚*.。.*゚

♡してもらえると、気まぐれでタガログ語が出てきます。Salamat!(ありがと!)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?