見出し画像

夜は明ける

「お願いできますかねぇ」

 私は彼がそう言ったのをはっきりと覚えている。そして自分がやる気なく「はぁ」と言ったのもはっきりと覚えている。後々のたぬきみたいな私の雇用主の言葉である。

 窓の外は藍色だった。私の身長よりも高く、両手を広げても広い窓。目が乾いたので起き上がってコンタクトを外した。前日そのまま寝てしまったのだ。何だかお腹が空いたな。そういえば昨日はシャンパンとワインを飲んで、ほとんど食べていない。私は前日解雇されたのだった。

 先週メリーランドで買ったOld BayのカニTシャツと擦り切れたレギンスと旅行用の大きいカバンを持って酒屋に行きモエ・エ・シャンドンを買い、八百屋で大根を買った。掃き溜めかな?と思っていた会社から解放されたんだもん、シャンパンでお祝いしよう。かわいいアミーゴが私を見てたのは時代に逆行したスモーキーアイメイクのせいかもしれない。何だか家出少女の気分だった。お酒は21歳以上じゃないと買えないけど。

 空は白んでいた。携帯を見ると色んな人からメッセージが来ていた。インスタにモエちゃんとともに「解雇された」とアップしたからだ。私は大丈夫だ。振り返ってみたら良いことなんか何もなかった。底にいるなら上がるのみだ。私の人生に於いてこんなことは些末なことだ。大事なことはもっと他にあるはずだ。そう思いながら、目の間のアイロン台の洗濯物を見て現実に引き戻される。これからどうしよう。

 空がピンク色なのは一瞬だった。私はこれから起きて、昨日落とし忘れたメイクを洗い流し新しく塗り替えて、これからこの間「バーイ!」とサヨナラしたはずのゆるふわ男子くんと会う。足取りは重いけど、約束してしまった手前会う他に選択肢はない。断る勇気が、私にも彼にもないのだ。

 ゆるふわくんとのお出かけは予想以上に楽しかった。彼とは初めてお日様が高い時間に出かけたので、正直どうなるか、私にも分からなかった。いつも夜飲みに行き酔っ払って私の部屋に来ていたし、私もそれを止められなかった。でもこの日は違った。一切お互いに触れることなく解散した。これだったら友達として付き合っていけるんだろうか。お互いが都合の良い時に会い、遊んで、楽しむ。そんなことが、可能なんだろうか。全く分からない。

 「で、これからどうするんだい?」親友ちゃんが聞いた。どうしよう?正直言って、まだまだどうにでもなると思っていた。解雇は(誇れないが)アメリカに来て2回目だ。何だかいらない耐性がついてしまった。まだ、何者でもないからこそ、何者にでもなれる気がしているんだ。おこがましいかもしれないけど、そういう気分なの。とりあえず、そう返信した。彼女は「そう思えるアンタが羨ましいよ」とだけ返した。

  これから何ができるんだろう。たぬきになって、根回しをしまくって働くか(考えてみたら、私の動物占いはタヌキだった)。どうにかフリーの道を探すのか。いっそのこと、日本に帰るのか。ただ一つ思うのは、もう自分に無理をさせないことだ。私のケアをできるのは、私しかいない。そう思って、前に進む他ないのだ。お願いされたからって、安請け合いはしない方が良いんだ。そして、必要ないものは捨てないと、新しいチャンスはつかめない。そう思ったのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?