見出し画像

【フィリピン】お湯が出ないから、やかんで沸かしたお湯を水で割ってお風呂入ってた思い出

先日、日系ブラジル人の子とブランチしていた時に国のインフラの話になった。現在30代前半の彼は9歳までブラジルに住んでいてその後はご家族で日本へ移住、私はブラジルについてほぼ何も知らないので興味を持って話を聞いていた。その流れで「フィリピンは20年前までシャワーはなかったからやかんでお湯沸かしてバケツにそのお湯と水割ってお風呂入ってたよ~~~」という話をして色々思い出したので、せっかくなので書こうと思う。ちなみに彼も「(ブラジルでは)お湯はなかったなー」とのこと(確か彼はサンパウロ出身)。

私の母の実家は、フィリピンのMarikinaという首都圏マニラに含まれる地域にある。私は生まれてから、就職してからもほぼ毎年クリスマスの時期にはそこに行くのが習慣だった(普段は東京に住んでいた)。2002年、私が16歳の時に母が自分の家を祖母の家の裏に建てるまで、祖母の家に滞在していた。

新規ドキュメント_22

写真は1993年のクリスマスで、後列真ん中が7歳の私。当時は従姉妹たちとおそろいのドレスを着て、親戚を回るのがクリスマスの習慣だった。恐らく作ってもらっていたのだろうけど、今思えば仕立ててもらってたというのがすごい。フィリピンのクリスマスは、日本のお正月のお年玉みたいにお小遣いをもらえる日である。

さて、まずはお風呂の話。母の家が建つ2002年前まで、祖母の家に寝泊まりしていたわけだが、シャワーはなく、お湯も出ないので、タイトル通りお湯を沸かして、バケツでお湯を水で割ってお風呂に入っていた。適温のお湯を作って、髪を洗って体を洗って、バケツのお湯が足りなくなったらまたお湯を水で割って…というのの繰り返し。16歳以降、母が建てた家に滞在することになってからはシャワーでお湯が使える(といってもたまにしか使わないので、不調で水しか出ないこともある)ことになったので、それ以降お湯をやかんで沸かすことはなくなった。たまに大人になってから、日本やアメリカでガスが止められたとか工事でお湯が出ないという状況になった人に会うと、「やかんでお湯沸かして水で割ったら良いよ」と言うことにしている。

次に、電気の話。1995年位まで、しばしば停電になった。印象的だったのは、ショッピングモールに母とおじさんと出かけていた時に、停電したことだ。今思えば、よく盗難などなかったなと思う(あったのかもしれないけど)。その時はその辺に座ってただひたすら待っていた記憶がある。また夕食時に停電することもあった。その時はろうそくの火でごはんを食べていた。ただ、1996年以降はあんまりなかったように思う。

最後に、電話の話。これも1995年位まで、家に電話がなかった。それ以前は、必要なときはお隣の家に借りに行っていた。4つ上の従兄(当時14歳)が女の子に長電話をしていたのを覚えているので、1996年にはあったと思う。まじで延々電話していた。また、その頃母の一番下の妹が病気になったので、連絡手段として必要だったから買ったのかもしれない。1995年といったら、日本では家には当然固定電話があり、更にポケベルがあったというのに。今では従姉妹たちは中国製の安いスマホかお給料に対しては高すぎるiPhoneを持っているが、インターネットが普及するまで通信手段は電話でコーリングカードを使っていたのが懐かしい。知ってる?コーリングカード。

こういうことを経験すると、フィリピンを出たい、家族に良い暮らしをさせてあげたい、という人たちが外国に嫁いでいくのも分からなくはないなぁと思う。現にミシシッピで知り合った、アメリカ人に嫁いだフィリピン人女性たち(私より年上なので、上記の経験はあると思われる)はガッツと覚悟がある。アメリカの中でもド田舎のミシシッピでも、フィリピンよりはマシなのか、と母に聞いたことがる。そりゃそうよ!とめちゃくちゃ力強い答えが返ってきた。

現在ではフィリピンに行く時は母の家に滞在するようになったので、他の家の事情は分からなくなった。その後ある程度みんな豊かになり、みんなが車を持つようになって、渋滞がひどくなったな…(時代はシェアリングエコノミーなのに…)と思ったのが2年位前だ。私は実際には住んでいないので、変化を感じられないのが残念だ。個人的にはアメリカよりもアジアの方が変化が感じられて面白い地域だと思っている。

ちなみに、今まで書いてきた母の実家は、ごく一般的な?中流家庭の話だ。祖父がBBQ屋を始めて、母の世代が商売を手伝い、私の世代が大学に行けるけど余裕があるわけもない、1から10で言ったら6くらいに位置する家である。これは昔気になって私が聞いたことがあり、割と豊かな方だと思ったら大間違いだった。フィリピンの金持ちは、日本の金持ちとは比べ物にならないくらい、とんでもない金持ちだからだ。うちの家族は大学にも一応行けるくらい、の家。

今でこそ語学留学~などでフィリピンに行く人が増えたけど、こういうことを体験してる人は少ないかなと思い書きました。冒頭の友人と話してて、将来的にフィリピンに何かしら貢献出来たらいいな~とずっと思っていたのを思い出せたので良かった。

若かりし頃のおばあちゃんとおじいちゃん。私は売り物のBBQを食べている。ドレスでBBQ屋にいるっていうのもなかなか。

そういえばこの間オンライン飲みしてたらジャパ行きの話が出てきたり、私が小学生の頃フィリピンに滞在してるとき日本語で書かれた手紙を持って若い女性が母を訪問してきたり(日本人男性から送られた手紙で、母が翻訳した)、それに伴って偽装結婚や強制送還の話も思い出したので、その辺の昔話も書ける範囲でおいおいシェアできたらなーと思います。また!

*.。.*゚*.。.*゚*.。.*゚*.。.*゚*.。.*゚*.。.*゚*.。.*゚*.。.*゚*.。.*゚*.。.*゚

♡してもらえると、気まぐれでタガログ語が出てきます。Salamat!(ありがと!)

この記事が参加している募集

お金について考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?