すくう

高橋アンテナさん著【「路上ひとりナンパ」の宇宙】のレビュー。クランチマガジンより移転。




アンテナさんが描かれたナンパ は、私が 【螺旋一 】の 〝すくひ 〟という文で表現したかった内容に近いのか?と勝手に思った。

人波の中に浮きつ沈みつ流れる〝私〟は〝カオリ〟と出逢い掬い、引き寄せる。

アンテナさんの〝 路上一人ナンパ 〟は、《救うのも救われるのも同義になる行為》そんな風に私には見えた。

ナンパする方もされた方も、其処に空間とも時空とも言えない、鏡を得さえすれば必然的に映し現れる、鏡が映した世界を、たとえそれは 他者という一過性の居場所であり、ずっと居場所を提供してくれるものではないかもしれないけれど〝在処 ありか 〟をみているような気がした。


相手の裡に見た影は、相手なのか自分なのか、掬って口にした水は如何なる味と香りがするのか?

手のひらから零れないうちにその水鏡の裡を覗いて見ないことには光なのか、闇なのか?何が映っているのかわからないけれど、アンテナさんが掬った影が光であって欲しいと願いつつ、きっとどちらでも良いんだとも私は思う。掬うが救うでも、巣食うでも....

何故なら十七歳の時に棺桶に突っ込まれた私の片足を引き戻してくれたのは光ではなく、闇であり病みだったから。


【掬はざらば人の在処(ありか)は零れ落つ人波をゆく吾彼が如(ごと) 】


すくうのもすくわれるのも、あなたであり、私でもある、そんな世界を想い記した。

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