読書から考える 音声-文字-絵文字-グラフィックス。コスパのいい情報を記録し伝える技法について - 図書館は紙のAI

 こんにちは、丸山高弘です。

noteには一つのテーマで書いていこうと思い立って「図書館は紙のAI」などという連載(?)を始めましたが、数投稿でとまってしまいましたね。すみません。

ということで、心機一転。リスタートしたいと思います。

リスタートは「読書」を考えるというものです。

本を読んで何を記憶できるか

最近、読書したことはありますか? 実は「最近、本を読んだ」という人がいたら、題名を教えてください。書いた人を教えてください。内容を教えてください……と聞いても、ほとんどの人は正確には答えられないのが現実なのです。題名を覚えているという人であっても、正確に題名を口に出していえる人は、実はごくわずかなのです。というほど、実は私たちは読書をしても記憶に留めて置けることはごくわずかであることを認識しておくと良いと思います。もしもあなたが、ブログや動画で書評やブックレビュー書くようなことがなければ、正確な本の題名も著者名も覚えているということはとても稀なことなのです。

 ということで、人は本を読んでも「何かを読んだ」という記憶は残っていても「何を読んだのか」「誰が書いたのか」「どのような内容だったのか」を正確に記憶することはとても難しいことだったりします。むしろ、本棚や積読で、常に視界の中に本の背表紙が見えている状態を常に作っておくことのほうがよほど正確に覚えていることがあります。

「音声」という流れていくメディア

会話も含めて「音声」という時間の経過とともに流れてしまう情報伝達手段を考えると、伝わっている(と思っている)ことはその瞬間の内容でしかなかったりする。音声にするとたんに過去のものになり、唯一残るのは聞いている相手の脳内の記憶だ。記憶を忘れないためには文字として書き留めなければならない。過去の発話がすぐに忘却のかなたになる危険性をはらみつつ、さらにこれから発話されることは本人ですらわからない。だから聞いている相手はほとんどまったく知ることができない。そんな極めてあいまいな方法である音声による発話という情報伝達方法がこれほどまでに安易に使われている事実を私たちは知らなければならない。

母親が子供に「さっき言ったでしょ!」は、もう忘却のかなたなのだ。

「文字」という書き留めるメディア

これに対して、文字として書き留めた情報伝達方法は、音声とは異なり「記録」されることで記憶されやすい。しかも音声がその「瞬間」なのに対して、文章はその前後も視野に入っている。今読んでいる文字だけではなく、すでに読んだ文字も、これから先に読むはずの文字も、ページの中であれば、視野に入ってしまうのだ。まぁ、これが災いして行を読めないディスレックシアなども起きてしまうこともあるが、1ページ、あるいは見開き2ページという平面の中に記録された「文字」そして「文章」という流れを一文字ずつ読むことで、私たち人類は進化してきたのかもしれない。

音声発話から文章に置き換えることで、記録と前後を知ることができる。

絵文字/ピクトグラム

文字による文章には限界がある。文法は基本的な教育の中で培われてはいるが、日本語の文章は特に読んだ相手の解釈によって伝えたい意味を履き違えられることがある。よくあるのが「結構です」はYesなのかNoなのか…など、実に伝えたい内容や意思に対して、あいまいな文章を表現できてしまう。そこで、どうせあいまいにしか伝えたいのであれば、いっそのこと略語でもよいのではないか…ということになってしまう。「新年あけましておめでとうございます」という17文字が「あけおめ・ことよろ」の8文字(中黒を入れて9文字)に略され、さらには絵文字を使うことでもっと省略することができる。しかも伝えたい内容はほぼ同じくらい伝わるのだ。🌅🎍㊗️

さらに、東京オリンピックなどの風景を見ていると、その競技種目がピクトグラムで表示されている。このページではそれぞれの競技名は日本語で書かれているが、これを参加各国の言葉で表現したとてつもないことになる。それを[絵]で表現しているのがピクトグラムだ。伝えたい内容に対して文字で表現するか、ひとつの絵(ピクトグラム)で表現するか。そんなことを考えていたりする。

グラフィックレコーディングということ

最近のミーティングにおいては、その議事録を「グラフィックレコーディング」で記録することが増えているそうだ。これは、数時間の会議で音声発話されたことを、一枚の模造紙あるいはホワイトボードに記録することである。その会議で発話されて音声をすべて文字で書き起こす「議事録」とは別に、話の流れや関係性などをビジュアルにすることで、理解を深めることができたりする。

これは一種のインフォグラフィックスやダイヤグラムの即興版といってもよいかもしれないが、このグラフィックレコーディングが、ちゃんとした文法を持ち、記述するルールが確立していけば、私たちは「音声による発話」や「文字による文章」に縛られずに、伝え残したい内容を記述し伝達する方法を得ることができるのではないだろうか?と考えていたりするのです。

まとめ

「音声による発話」はその瞬間しか伝わらず、過去は忘却へ、未来は未定。

「文字による文章」は過去も未来も視野には入るが、解釈があいまい。

「絵文字/ピクトグラム」言語によらず内容を伝えることができるが、ビジュアルのルールを理解する必要がある。

「グラフィックレコーディング」数時間分の発話をひとつの視界に収めることができる。

ということで、実は「伝えたい内容を、一番コストパフォーマンスの高い方法で記録し伝達する手段」としては、やはり文字よりもグラフィックの方がよいのではないだろうか?と考えている。

もしかしたら、一冊の本を一枚のグラフィックスで表現することのほうが、本当はコストパフォーマンスが高いのではないだろうか?

例えば、一冊の本を一枚のグラフィックスで表現することが可能であれば、図書館はコンパクトにすることもできるし、限られた空間でさらに多くの情報を収集・保存し提供することができるのではないか。文字にするからページ数が必要で、本が厚みを持ち重さを持ち、限られた空間に収蔵できる冊数には限度があったりする。
そんなことを考えていたりする。

※ というこのページも、グラフィックで表現せずに文字で書いている時点で大いなる自己矛盾なのだが、音声発話/文字文章/グラフィック等々のことを考えてはいるが、実のところ「暗記パン」には敵わなかったりする。





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