あきらめながら、あきらめない
「がっかりすること」に慣れてきた。
「がっかり」は自分のことじゃなくて、時代のことだ。
よくわからないけど、人間は殺し合いばかりしてきたみたいだし、時代が悪い方に転がっていくのも「よくあること」らしい。
でも僕は「たくさんの理想とか夢」を教えられて育ったからしんどい。
「みんな平等」とか「正義は勝つ」とか、「年寄りは偉い」とか。
本当はそういうのを「信じたい子」だからしんどい。
科学とか、医療業界とか、銀行とか、大学とか、なんかの先生とかが、信用できると信じたかった。
でももう全部バレてしまった。嘘の影で残酷な事態が容赦なく進んでいる。
「本当のこと」は相変わらず報道されない。
僕はテレビをあまり見なくなった。
「嘘をつかされてる人」と「嘘を信じる人」が気の毒で楽しめないからだ。
冷静になって考えれば、人間なんてこんなものかもいれない。
「みんなが平等、民主主義」だの
「自然は科学でコントロールできる」だの、
「報道は中立」だのってのは、
「ある時代の人たちが見た甘い夢」だったのかもしれない。
もしくはそれさえも「ある種の人達を守るために作られた嘘」なのか?
「あきらめ」が頭をよぎる。
問題は「自分の人生は続く」ってことだ。
自分の人生だ。無駄にはしたくない。
ノーベル賞だの金メダルだのはいらないけど。
億万長者なんかにならなくてもいいけど。
人生を無駄にするのは我慢できない。
だから僕はこう思うことにした。
歴史はこんなもの。人類はこんなもの。
でもあきらめない。
機嫌良く生きていくことをあきらめない。
大好きな事でみんなを楽しませることをあきらめない。
環境問題も人権問題も政治問題もグローバリズム問題も教育問題も
「機嫌良く」あきらめない。
笑顔でしぶとく。ベストを尽くす。
折れずにしなるのだ。
多分先人にもそういう人たちがいたはずだ。
あまりにひどい時代が来ている。
やけになったら・・
お茶でも入れよう。
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