決断させて見守る【やさしさってなんだろう】
ピンクの桜が散り、木々に緑が増えてきた今日このごろ、いかがお過ごしでしょうか?
日刊【書くメシU30's】マガジン金曜日担当のマルタです。
今週のテーマは「やさしさってなんだろう」ということで、まぁこれは難しいですよね。
実は今年から福岡の某専門学校で講師をすることになったのですが、生徒の人たちに対して「どうすれば一番良いだろうか?」と考えることが多くなりました。
「何がベストで何が優しさで、そして何が厳しさなのか?」
「将来の生徒のためには注意する必要があるのか?」
などなど。
そんな事で頭いっぱいですな。
そんな日々の中で感じた「これじゃね?」みたいな事を綴っていこうかと思います。
結論:決断させて見守る
結論から申しますと、「決断させて見守る」ことが優しさであり、厳しさであることではないかなと思っております。
授業中の生徒の反応
少し具体的な話になりますが、僕の授業では「既存のルールは賢く破ること」を一番強く教えています。
「社会に出たり、大人から何かルールを言い渡されたらまずはそれを疑え」と、僕は常に言っています。
授業中はスマホの使用や飲食、居眠りは適度にOKにしておりまして、生徒さん達は大喜びします笑
ですが
「制限のないルールこそ一番厳しい規則だ。だからみんなが一人ひとり自分自身のルールを作りなさい」と宣言すると、「コイツすげぇ!」感を放った目で僕を見てくれて超絶嬉しいです笑
授業が終わると「ルールの話めっちゃグッと来ました」なんて言われたり、「寝ていいと言われて逆に聞く気になりました」なんて言われたりするんですね(*´艸`*)
その経緯もあって、おそらく優しさかつ厳しさというのは「選択を全て本人にさせる」事だと確信しております。
今回の事例で言えば、
授業中にスマホにふけるも、授業を聞くもよし。
寝るもよし、起きるもよし。
何か食べるもよし、授業中だからと我慢するもよし。
全てを生徒の人に決断させて、講師の僕はそれを静かに見守る
これが優しさなんじゃないでしょーか?
って思う今日このごろでございます。
まとめ
優しさと厳しさは常に表裏一体で、人が育つ姿勢というのは僕の中では「決断させて見守る」なのではないかなと思いましたまる
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