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彼らを嫌いにならないでほしい。

私は人を嫌いにならない。
基本的に、どんな人であっても嫌いにならない。
嫌いになればなるほど興味がわいて近づいて行ってしまう、危うい嗜好がある。
人から避けられる人、ちょっと嫌なこと言う人だなという人。
感じ悪い人。
そういう人になぜか惹かれてしまうし、なぜかそういう人は私の周りに芝生キノコのように突然現れるのだ。

息子が年中組のころ、同じクラスのある母親の初対面がとても感じが悪かった。同じ歳の子どもを持ち、下の子までうちと同じころに出産していた。産休中で毎日遭遇し、仲良くなるには最高のステージが用意されていたのだ。
彼女はお互いが胸に抱いている赤ん坊の足の太さを比べ、何を飲んでいるのか、どうしてそんなに小さく、か細いのか、ちゃんと飲ませてるのかと私に聞いてきた。
彼女の抱いている同じく0歳の赤ん坊は足が太く、丸々と太っていた。そういう意味では自然な会話の流れかもしれないが、初対面の私は(産休中で他人と話す機会のほとんどなかった私は)圧倒されてしまった。

それから毎日彼女に会い、毎日質問された。息子同士が仲が良いのもあり、公園に寄って毎日会話した。途中彼女は自分の息子をちょっとしたことできつく怒鳴りつけていた。その言葉の棘が私に飛んできた。
彼女はとても気迫があった。
保育園の帰りの支度にもたつく子どもに対し、「お前は馬鹿か!いうこと聞かんのならここに住め!」「○○!(子どもの名前)そんなことができひんのやったら、3歳児クラス戻れ!」今思うと、ただの口の悪い母親なのだが、当時私はそのセリフに自分自身が消耗していった。
離れなければ、と思うも、毎日帰り道に息子同士が仲良く遊んでしまう。
保育所が終わったら早く帰ろう、と息子に事前に頼み込んでおいても、その約束は子どもの本能からの「遊びたい」という引力の前には無意味である。

彼女と話したくない、と結構本気で悩んだが、だからと言って毎日のように息子の送り迎えを夫や姑に任せるわけにはいかない。ということで、私は発想の転換を図ることにした。

質問される前に質問するのである。

私はまず、彼女にどうしてそんな風に子どもをきつく叱るのかというド直球の質問を投げた。突然の質問返しに戸惑うかと思いきや、彼女は自分自身が一人っ子で、甘やかされて育ったこと。甘やかされたことで小学校に入ってからワガママだと言われていじめられたことをあっさり語ってくれた。
「きつく言うくらいでいいのかと思ってる。当時自分なら悪いことは悪いときつく言ってほしかった。でも、正直加減がわからん」
と苦笑いして言った。
「でも、叱るときに人目が気にならない?そんな大声できつく叱ると私もびっくりする」
と私が聞くと、彼女は
「なんで自分の子を叱るのにいちいち人目を気にしなきゃいけないの?」
と目を丸くして言った。

以来、彼女とは良い友達になった。価値観もやり方も違うが、その違いさえ知れば面白い友達になれた。
彼女は私の友人の中でもとても正直で、まっすぐな人だ。
後で知ったが、私と10も歳が離れており、それもあって私は妹のように甘えることがこの人との付き合い方だと悟った。
時間をかけ、それは違うとか、それはおかしいとか、そういう言葉を交わせることができた。次第に彼女の叱り方も変わり、余裕が出てきた。過去を振り返り、産後でかなり疲れていたのかも、なんて言っていた。
「私ほんと友達少ないから、これからも友達でいてほしい」
息子たちが卒園した後、こんなセリフが彼女の口から出たのも諦めず会話を続けた結果である。

これはごく一例だが、私の周囲には、第一印象の悪かった人が結構いる。
私の中の法則で『第一印象の悪い人ほど良い友人となる』というものがあるので第一印象の悪い人に出会うと「キター!」と叫びそうになるほどだ。

第一印象の悪い人は、人とは違った価値観を持ち、どこか弱気で、だから虚勢を張っている。
こう見られたい自分像がずれているのに気づいていないか、こう見られたい自分像を持っていない。
だから、他人と接するときどうすればいいのかわからないので失礼なことを言ったりしたりする。
はっきり言ってしまえば、『不器用な人』なのだ。
私はそういう人間の不器用さを愛おしく感じて、深堀りしてしまう。
第一印象の悪い人こそ、人間臭い貴重な存在なのだ。

第一印象の悪い人はみんな、私の友人である。
彼らを嫌いにならないでほしいと心から思う。


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