浜崎あゆみさんがいる時代

浜崎あゆみさんがいる時代

もより

日曜日の昼に、久しぶりに浜崎あゆみさんを聞いていた。

「あゆ派かヒッキー派か」で盛り上がっていたあのころ。

まもなく30歳となる私は、あゆ世代よりも少し下の世代で、

少し年上の方か、クラスの中でちょっとヤンチャな子たちが聞いていたアーティストだった。

渋谷のど真ん中、時代のど真ん中にいた浜崎あゆみさんは、地方で、クラスの端にいる私にはきらきらしすぎていて、あえて聞かなかった気もしている。

そんなわたしはいま、休日に浜崎あゆみさんを聞いている。

昨日、ドラマ「M 愛すべき人がいて」が最終回を迎えた。

大映ドラマ、トンチキドラマ、はかたもん…など揶揄をされまくっていた作品で、ドラマ好きの私としても、突っ込みどころが満載だったと思うが、同時に彼女の楽曲のすばらしさも残る作品だった。

恋人たちはとても幸せそうに手をつないで歩いているからね まるで全てのことが上手くいっているかのように見えるね 真実はふたりしか知らない (appears)
今日もどこか、この街のどこかで 別れの道 選ぶふたり静かに幕を下ろした(M)

ドラマの中で印象的にかかっていた「appears」「M」は、主人公自身の恋の幸せというよりは客観的に幸せそうな人たちを歌っている。

ドラマを数話ほど見た時期に、YOUTUBEのある動画を思わず見入ってしまった。

居場所がなかった 見つからなかった 未来には期待出来るかわからずに(A Song for XX)

渋谷の、時代の、すべての頂点にいるはずの彼女は、ひとりであるようにみえた。バックアーティストも大勢の観客と熱狂のなかにいるはずなのに、なぜか「孤独」で叫んでいるように見えた。

浜崎あゆみという人は、真ん中にいるようにみえて、人々の孤独を拾える人だと思った。愛にも恋にも幸せを感じられるけれど、愛や恋に裏切られた少女たちにも寄り添える人なのではないかと思った。

ドラマは100%本当かもしれないし、99%嘘かもしれないけれど、歌を大切に届けるということにとても長けていた人なのだろうと思う。

彼女は大衆ではなく、何百万人のひとりの少女たちを救ってきたのではないかなどといまさら感じた。

カリスマではあるが、愛を求め、愛に裏切られ、愛し、愛され、ひとつひとつを歩んできた人なんだろう。

同時期に宇多田ヒカルというモンスターやMISIA・aikoなど歌姫が多くいた。

そして彼女たちはいまもなお、第一線で歌い続けている。

その状況はわたしたちにとって、とても幸せだ。

年齢としては、わたしの一歩先を歩み続ける彼女たちは、そのとき感じたひとつひとつの歌を作品として披露し続けてくれている。

そして彼女たちと同じ状況になったとき、わたしは彼女たちの歌に甘えることができるのだ。

浜崎あゆみさんはこの度、2年ぶりの新曲「オヒアの木」の配信をスタートした。

母親になった彼女が、子供にむけた歌なのだという。

「appears」や「M」であった孤独やさみしさは感じられない。

新しい愛に触れた彼女が、また新しい作品を生み出してくれることを楽しみにしている。

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都内で働く会社員です。仕事のこと、日常のこと、ドラマや映画の感想も書いたりしています。