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乾燥機を組み立てて感じた、時を告げる人と時計を作る人

乾燥機の組み立て

先日、乾燥機を組み立てました。
乾燥は平置きの常温送風で乾燥させています。

こまめにブログを更新するべきなのですが、雨の日にまとめて更新しています。ご無礼お許しください。

旧式の乾燥機も稼働させます。

旧型の乾燥機も稼働します。
乾燥機を屋根のある部分にフォークリフトで移動できるように工夫をしました。
お金はつかうと無くなりますが、頭はつかうと経験が身につきます。

乾燥機は他の方が組み立てる時に部品がちょくちょく紛失していました。

農機具のクボタさんに部品を取り寄せてすべて揃えました。
そして、取り外しの部品はまとめる仕組みをビニル袋で作りました。

解体時にはビニル袋に部品を入れてくくります。
組み立て時にはビニル袋を巻き付けておきます。
それ以降、部品の紛失はゼロになりました。

自分の中で仕組み作りは大事と感じた瞬間でした。
時を告げる人と時計を作る人です。

機械が少しガタついているところは紐などで縛っています。
写真でもビニル紐で固定している部分が見えますね。(お恥ずかしい…)

時を告げる人と時計を作る人

SEIKOオンラインストアより引用

考えさせられた物語があります。
それは時を告げる人、時計を作る人です。

昔、文明が未発達のある都市には、太陽や星の位置から正確に時を告げる人がいました。

「朝の7時だぞー」
「おーい、12時ですよー」
「いま、17時になったよー」

その方は類まれなる優れた才能でその街の方々のお役に立つことでしょう。
卓越した技能からリーダとしての素質もありますね。

しかし、彼がその都市の中央に100年後も一秒も狂いのない「大時計」を作ることができたらどれほど価値があることでしょうか?

彼がいなくなった後も、大時計が時を告げ続け、人々の生活を支えるため、彼の存在価値がさらに大きくなります。

会社においても「時計を作る人」が大切な理由がわかる物語です。
日常業務で素晴らしい成果を出す人も重要ですが、それ以上に、仕組みを作り、未来を創り上げていくことが大切です。

カリスマよりも仕組み作り。と著者は定義しています。
(しかし、時計を作るためには時(現場)を熟知していないと作れない!というのは私の持論。どちらも必要なのでは?)

素晴らしいアイデアを持っていたり、素晴らしいビジョンを持ったカリスマ的指導者であるのは、「時を告げること」、であり、一人の指導者の時代を遥かに超えて、幾つもの商品のライフスタイルを通じて繁栄し続ける会社を築くのは、「時計を作ること」。

ビジョナリー・カンパニー:ジム・コリンズ著

時を告げて、時計を作った祖父と父親

1から100にすることの苦労と0から1の産みの苦しみは別物

マルカワみそという会社で時を告げ、時計を作った人は私の中で2人います。
(会社設立前の曽祖父や高祖父はここではお見送りさせてください。
しかしながら、大雪の中、重量物の麹箱を背負いどんなときも顧客の納期を守り、農業と麹つくりのお仕事を尽力していた逸話があります。)

「わすれるな おもいおこせよ つえとなわ」
河崎家の家訓であり、配達時に使っていた杖と縄は家宝です。

祖父は農閑期の麹つくりの商いを味噌製造業まで築き上げました。
祖父のコンセプト、仕組み(製造少人数で生産性を上げる現場、上から下にモノが流れる導線など)は今でも味噌現場でしっかりと街の大時計のように稼働しています。

味噌蔵の設立、醸造機械の導入、木桶仕込み、天然醸造、地下水仕込み、そして蔵付き麹菌の復活。
馬車馬のように働き、会社の礎を築きました。
偉業は数えきれません。

また配達した時(10年以上前)に
「お爺さんには本当に世話になったんや〜。」
「お孫さんですか? 会長さんは元気かえ?」
と数えきれないほど言われました。

一人ひとりのお客様と商品だけでなく、心で繋がりを何よりも大切していたのが祖父の仕事姿勢でした。
私は営業職を経験していますが、このような関係性を築くことはなかなかできるものではありません。

ゼロから1の難しさと成長の加速

父親はその礎を「国産有機味噌」としてさらに、昇華させました。
祖父とは全く違う視点から味噌作りを挑み、ゼロから1を生みだして、加速していきました。

あの時の舵取りがなかったら、今の会社は存在していません。

物事の始まりは、多くのエネルギーと根気を必要とします。
私は出産は経験していませんが、「産みの苦しみ」という言葉があるように、0から1への移行は特に難易度が高いのです。

飛行機のパイロットさんは離着陸時に最も神経を使うようです。
自転車も漕ぎ出しの瞬間が脚力を必要とします。
その加速が一度つけば、その後の漕ぎ出しは楽になります

祖父や父のように「時を告げる」ことは、凡夫の私には到底できないことです。まして、100年後も狂いのない大時計を作ることも難しいかも知れません。しかし、乾燥機の事例のように小さな「マッチ箱サイズの時計」を作れることはできるはずです。

そんなことを一つひとつ。

祖父や父親のような大時計ではないので、小さなマッチ箱の時計は誰も目にかけてくれないかも知れません。
しかし、私は自分のペースで精進を重ね、小さな一歩、小さなマッチ箱の時計を大切にしていきます。