農業生産法人 有限会社瑞穂(みずほ)
自分の原点であり、羅針盤のようなもの
農業生産法人有限会社瑞穂という会社がありました。
中学時に父親が農業生産法人を立ち上げた会社です。
食べ物が化学物質によって汚染されているのではないのか?と警鐘を鳴らした本に学生時代に出会い、いつしか「無農薬の味噌を作ってみたい」と父親は考えるようになりました。
しかし、20代の彼に立ちはだかったのはその父親。
すなわち私の祖父でした。
高度経済成長期を馬車馬のごとく働き、マルカワみその礎を築いた敏腕。
「(無農薬の味噌)そんなものは売れん。」
意見は却下されました。
それでも、父親は無農薬のお味噌に対する思いを捨てきれませんでした。
約20年後に同じ話を持ちかけました。
父親:「どうしても無農薬のお味噌を作りたい」
「せんかったら、一生後悔する。」
祖父:「(根負けして)分かった。好きにせえ」
(このやりとりは3行でまとめましたが、実際はそのやりとりだけで、3000文字以上に及びます汗)
その後、父親は味噌屋の専務と農業生産法人の社長と2足の草鞋を履き、
自分の夢、目標に邁進します。
彼いわく、
その時はやるぞ!という闘志で目の前がメラメラと燃えていたそうです。
星飛雄馬かよ、、、。
…ちなみに、過労で8年間で2回入院をします。
名刺から伝わってくること
平成4年。今から30年ほど前。
当時はインターネットなどもなく、今より、対面での人と人との出会いが重要になっていたのは間違いありません。
私はこの名刺をみて、少しだけ涙ぐんでしまいました。
「あぁ、本当に親父は農業の仕事が欲しかったんだなぁ、、、」と。
名刺の文章から私はそのように感じました。
あと、なんも変わっていないなと。
娘は「出会い」って文字が運命みたい。と言いました。
そうか、小学生では「出会い」という意味はそう感じるよな。
話はかわりますが、じゃがいもの芽出しを行っていた時のことでした。
自分:(暖かい場所に移して)芽出しをすると、欠株なくなるし、成長もよくなるみたいやで、やってみるでの。
父親:そんなんせんでも(作物は)できるんでないか?
きっと、「作物自身の生命力を活かした」という考え方では人為的に促成することを良しとしなかったんだと今、感じています、、、。
作物自身の生命力。
私にはとても考えさせられる文章です。
農は生命産業であり、環境産業
実際やって分かったこと。
農業は3K。いや5Kやん!!
私が、20代の時に農業(大豆の中耕や草取り)をして分かったことです。
本当にそう感じました。
一生懸命 ほんの一歩だけ 進む。
一生分の果てない仕事量 ドン引き。
下着びしょびしょの汗と疲労感。
虫に刺され、草に触れ 傷んだ肌は不快感。
懸命にやらないのが賢明。
ライムが勝手にできるほどでした。
きつい
きたない
きけん
かえれない(仕事に終わりがない)
かねかかる
やらない。という選択を選ぶには十分過すぎる要素でした、、。
しかし、酸いも甘いもある人生経験を得て気づいたことがあります。(酸っぱい、しょっぺえはあったけど、甘いってあったかな)
「農業には5Kを超越したものがある」と。
私は農業においては駆け出しですし「いろは」もわかっていない分際です。
しかし、自分の実体験で感じたことですが、小指の爪ほどの種から自分の背丈ほどの作物を育てる醍醐味は他では成し得ません。
さらに、与えられた環境で懸命に育つ姿勢は心揺さぶられます。
「農業は生命価値と環境価値がある」
父親がいつも熱く語った言葉です。
倦まず弛まず一歩一歩精進していきたいものです。
父親との関係性
尊敬している面もありましたが、一緒に仕事をしていると、私と父親はそりが合わないことが日常茶飯事でした。
「きっと分かりあえるかもしれない…。」
そう思いたいこともありましたが、私は(男親子というのは)そういうもんだ…と割り切ることを選びました。
それは父親を一人の人間として尊敬しているからこそ選んだ選択肢かも知れません。
他人(父親)と過去はコントロール出来ない。
私の座右の銘です。
しかし、私は彼と同じことをしていると指摘する方もいらっしゃいます。
町内でゴミ出しに行くと「ひろっさんといっしょやの〜」
と言われることもしばしばあります。(もっと早起きしてゴミ出ししようかな…)
家内からは「〇〇の部分はお父さんと一緒、似てきた部分がある。」
と言われることもあります。
なんだかんだで私は父親が好きなんでしょう。
親父ありがとう。
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